第1曲「バッタ」、小学生の頃、ピョンピョンと跳び回るバッタを捕まえては良く遊んでいた。近い所に未整備のかなり広い公有地があり、住宅街に住んでいた割には草や樹木には恵まれていた。捕まえた虫を家に持って帰った記憶はないので単に追い掛けまわして捕
「しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、『あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい』」(マルコ 5:19)ある男が鎖で繋がれていて、昼夜を問わず叫び続
第1曲「避暑地の別荘へ向かって」、避暑地に行くのにトランペットのファンファーレで始まるのはかなり大げさだが、「いざ、出発」と言う雰囲気だ。すぐに浮き浮きした行進曲風の音楽が展開する。朝出かける前の楽しくもあわただしい旅支度。中間部は自然の美
コープランドにはディキンソンの詩による12曲の歌曲集と8曲の歌曲集がある。何が違うかと言えば、12曲の方はピアノ伴奏、8曲の方は後から作られた管弦楽伴奏版だ。4曲外されたのが残念だ。結局、管弦楽伴奏の方が詩情的に優れている。この「自然」はピアノ伴
ニコラ・ツィコーネは1977年12月1日、モントリオール生まれの作曲家兼歌手。どっちが本業かは知らないが、初めて英語の歌を書いたのは12歳の時だそうだ。名前から想像できるがイタリア系のケベック人。すでに100曲以上の歌を発表しているそうだ。生涯に渡る友
木漏れ日が穏やかな水面に反射する晩秋の情景。夏の未練に染まった水の動揺が絶妙な転調の彩の中に描かれている。中間部のではかなりの遠隔調に飛ぶが全く変わらない穏やかさを保っていて違和感はない。アルカンの霊感がなせるあいまいな響きの中に咲いた一輪
副題が「輝かしき小行進曲」となっている。このタイトルの方が曲のイメージには合っている。冒頭にトランペットのファンファーレが置かれた華やかな祝祭的な音楽だ。あえて言えば打楽器が通電の痺れるような驚きを表現しているのかもしれない。それでも電気シ
朝から機嫌の良い若い娘。彼氏とのデート?それもあるが今日は特別なのだ。何しろ彼が買い物に付きあってくれるというのだから。どうせ荷物運びくらいにしか役に立たないだろうが、それでも気分はいつもの3倍はうきうきしている。特売場のようなゴミゴミした
第1曲「出発前の午睡」、ハープだろうか。時を刻む音が弦楽合奏の通奏低音のように響く。人の内側に流れる生理的尺度で測る時間の経緯を感じる。これは細胞内の原子運動に関係するのかもしれない。この緩慢でもの静かな音楽はDNAを遡る旅への扉を開くための序
「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である
幽霊でも出てくる怪奇な音楽を期待したのだが、ケテルビーらしい甘く美しい音楽。弦楽の不気味なざわめきを背景にハープが優雅に響き、オーボエが主題を柔らかく歌い出すと、ふたりの語らいを邪魔しようとした弦楽の不敵な脅しは消えて旋律を応援し始める。昼
ホルンによって夜明けの情景を映し出す。仕事に出る前の早天祈祷会に集う人たち。最初は厳かに、中間部で異様に盛り上がっている。天から聖霊が下り人々がそれぞれに賛美や祈りを捧げ、神をほめたたえて踊りだし、異言を語りだしたような騒々しさだ。終盤にな
この曲はヴィオラ奏者バシュメトの依頼によって書かれた。曲の中でB-A-Es-C-H-Miと名前の綴りBaschmetが音列として用いられている。楽器編成が変わっていて、と言ってもシュニトケの曲で変わっていない方が珍しいが、ヴァイオリンがない。通常なら第1ヴァイオ
第1楽章「アルケ I」、冒頭から聞こえる情け容赦なく打ち鳴らされる鞭の音。初めは拳銃の威嚇射撃かと思ったが、この際どっちでもかまわない。低弦のピチカートによるクラスターがまとわり付いて来る。洞窟の中であるかのように響く足音。管楽器が参入し薄暗
ストラヴィンスキーが80歳を超えた晩年の作品のひとつ。ケネディー大統領が1963年11月22日非業の死を遂げ、追悼の歌として委嘱され書かれた。それにしても人を食った悲歌だ。伴奏は3本のクラリネット、かなり変わった編成だが、それは好いとして、徹底的に無
爽やかなある日の昼下がり、ひとりの貴婦人が気ままに馬を駆って森へ散策に出る様子が管楽器によって表されている。とても高雅な雰囲気の旋律だが、所々で弦楽器によって遮蔽されのどかな情景は分断される。段々異なった空間が混じり合って密度を高め、終盤は
深い悲しみに沈んで座り込んでいる姿が見える。悲しみの冷気が身体から発散され、重いレンガの障壁に覆われたように外側から圧迫を加える。痛みが怒りとなり、さらに無気力な諦観となって体を締め付ける。音楽の張力は非常に高く切れる寸前にまで高まる。調整
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほか
第1楽章、あれっ、モーツァルトだと思うほど印象的な序奏が堂々と鳴り響く。これだけでこの先の展開が気になるから不思議だ。第一主題の心地好さはこの上ない。春の風が大地を疾走して目覚めの時を告げる。樹木も草原もしゃきっとして胸を思いっきり膨らませ
あまりにもあっけなく終わってしまう小さな歌曲だが、どことなく海の匂いを感じさせるピアノの淡々とした伴奏が夜の情景にふさわしい。水夫は酒に酔っていたのだろうか。海はとても穏やかなようでまさか死ぬようなことはなかったと思うが別名「悲しみの歌」の
第1楽章「前奏曲」、冒頭からかなり悲劇的な色合いの強い一大抒情詩風だ。失恋とかそんな話ではなく、出生の秘密に絡んだ複雑な人間模様を想像させる。貧しい環境で育った青年が実の親とも知らずに出会い、異母兄弟の存在を知る。憎んでも憎みきれない愛憎劇
ヒンデミットがワグナーの「オランダ人」を弦楽四重奏のために編曲している。海がざわめいている。船が波に翻弄されている。ここまで頼りなく揺れると怖いだろう。まるで手漕ぎボートの底にへばり付いて動けないみたいだ。ひどい不協和音の波しぶきを浴びて海
第1曲「トッカータ」、休日とあって郊外へ出てのんびりしたい。車は快適に流れていて申し分なし。あれをしたい、これもしたいと考えるだけでも楽しくてたまらない。同乗者はみんな心ここにあらず、気持はすでに山だの海だのと駆け回っている。夕方はバーベキ
忍び足で階段を登る。2オクターブの上昇音階が冒頭で奏されたところで36分音符の急激な下降音階でなだれ落ちる。足を踏み外し下まで転げ落ちたのかもしれない。それから始まる追いかけごっこ。若いねずみは体力と知恵があり、老いた猫は狡猾な割には抜けてい
堰を切って流れ出るような序奏に続いてスタッカート気味のメロディーが飛び跳ねる。午後のひと時に愛犬を追って戯れているような様子が2拍子で描かれている。犬は元気で思いっきりはしゃいでいるが、付いて回る飼い主のほうは疲れてもたつき始める。体はつい
「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記 28:15)これは神がヤコブに語られた言葉である。しかしいつ
第1楽章、短く静かな導入が突然のピアノの鋭い打音にトランペットがかぶさった咆哮に打ち破られる。鐘の音ということだが殆んど警鐘のように威圧的で執拗に繰り返される。一端静まりかえったと思うと突如鐘が鳴り渡りフォルテで新しいフレーズが延々と続く。
この第5番はパリ万博で見たジャワの踊りやルーマニアの音楽に着想を得て作曲されたと言われている。僕にはジャワの影響が読み取れない。目が痛いほどの陽を受けて目に入るのは一点のしみもない青と白。音楽にイタリア風なところは全然ないが、なぜかイタリア
歌詞の中に高い塔ということばは出てこない。「もっと素晴らしい楽しみ」と訳した箇所が原語ではかなり近い表現となっているので、タイトルを意訳して「至上の喜びの歌」とすればすっきりする。それにしても力強い祈りだ。ランボーの詩はシュールすぎて、文脈
歌詞にある通り、パリについてはもう沢山語られていて、これ以上何も付け加えることはないほどだが、相変わらず新しい歌が生まれている。それほど愛されている街なんだろう。そして誰もが自分の若い時のパリが一番良かったと思っているようだ。パリは今も昔も