車両の写真、、既に40年以上前の事で形式などうろ覚えです。キハ10 3、僕にとっては気動車らしさに溢れる車。キハ26 187、急行用?だけど、この辺もまだ気動車っぽい、、昭和44年に安房鴨川の辺りで出火して全焼した車。典型的な鈍行*普通列車編成。ある
コロナで明確になったことのひとつ、、今でも意識としてはアナキストという人が結構居るんだなと。彼らは実は常に反政府、反国家なんだろうけれど、こういう非常事態だと政府の対策が国民の意向を反映していない、という風に強く感じてしまうのだろう。彼らは
写真オ整理をしていたら再びベルリンの市電の写真が出て来た。これは総て西ベルリン、50年代後半から50年代前半だと思う。データが全く無いので困ったなと思ったが、見てたら案外大体判ってしまった。シャーロッテンブルク(Königin-Elisabeth-Strass
DD13は小型のディーゼル機関車。主に入れ替えと小運転用だが、千葉気動車区には昭和42年時で17両も配属されているが、実際に気動車区内で使用されているよりも、他の場所で(木更津とか?)使われていた方が多い。気動車区内では余り仕事をしているという
総武線、当時複線、すごく多くの貨物列車が走っていた。総て蒸機牽引で主に新小岩のD51、または佐倉のC58。たまにC57が貨物を牽く事もあった。それにしても、各駅停車に近い、貨物扱いをしている駅(沢山有った)に停まって荷物を積み降ろしているよう
何かと写している125列車だが、調べ直してみると、両国17時19分発で内房線回り館山行き(着20時56分)だ。両国を出ると千葉まで停まらない。千葉着が18時10分。その後に両国17時39分発の221列車があって、これは外房線勝浦行き(着21
ハードディスクの整理をしていたら古い写真が出て来た。子供の頃、ご近所だった千葉気動車区、既に無くなって久しいけれど、ここで僕の鉄分が芽生えたという場所です。写真は整然と整理されていないので、出て来た順に載せて行きます。大体昭和43年から撮り始
本日は有機スーパーで買物。普段は家内が行くんだが、母親のところに行ってるので(世界中どこでも似たようなもんですね)僕が代行。有機スーパーでの買物は大半が乳製品。本日はヨーグルト(プレーンとレモン味、全てガラス瓶入り)、バター(ほとんど無塩し
昔のトラムの写真を上げたので、ついでにベルリンの壁崩壊1年後位のトラムを。ベルリン中心部ミッテの更にど真ん中辺りの風景。既に西化が進んでいる。車も東西半々位か、トラム車両側面広告も全て西側のもの。建物はまだ東っぽいままのものが多いかな。車両
珍しく(探し物があったので、、)仕事部屋をごそごそ整理していたら古いベルリン・トラムの写真が出て来た。コレクターからプリントをちびちび買っていたもの。トラムというのは街と生活に密接に結びついた交通機関だと思う。トラム路線が網の目のよ
ドイツのペダルメーカーだった(今でも名前と製品は残っている)UNION、今ではMarwiという自転車パーツグループの一銘柄だが、結構古っぽい頑丈なペダルが今でも作り続けられている。結構長持ちするんだと思うけれど、長く使っていれば玉押しが緩んで来る。そ
先に書いたハナの夫、マーティンは東プロイセン、マリエンブルク近くで生まれ育った。当時としては愛情豊かで優しい両親に育てられ、新聞記者を夢見ていたマーティンは17歳で招集される。1942年。招集された若者は地域ごとに集められ、取り敢えず農作業をさせ
僕の最年長のガールフレンド?だったハナは今年亡くなったが、昔からよく戦争の話を聞かせてくれた。彼女はハンブルク・アルトナ区の育ちで、父親はそこで本屋を営んでいた。祖父母はハンブルクから40kmほど離れた村に住んでいた。もともと週末は頻繁に列車で
僕の母親は満州・大連で生まれ育った。と思っていたら戸籍には東京市新宿生まれとなっていたんだが、東京に戻って分娩したのか、出生地だけ叔父が居た新宿にしたのか、戦後帰国してから変更したのか(そんな事が出来たのかどうか、、)判らない。彼女は大連の
僕の父親は普通より1年早く中学を卒業して陸軍士官学校に入った。軍人になる理由として「どんな職業よりも給料が良い」などと言っていたが、本当にそう考えていたのかどうかは謎。卒業時に希望を聞かれた際に、寒いところは苦手なので出来れば暖かいところへ
シマノのNEXAVE、このフロントディレイラー、日本語で検索しても出てこないみたいなんだが、欧州専用?だったのかな、、2x9速で、フロントは何だか大変複雑な構造、、シフトボタンはアップ・ダウン共に軽く押すだけ。ワイヤーはちょっとだけ動いて、BBに共
貰った僕が「いい迷惑」と思った程ボロい自転車、だがどことなく魅力を感じてしまったのが運の尽き、、再生計画に乗り出した。車輪は650Bなんだが、前後共にロラーブレーキのハブになっていて、後年改造された事が分かる(ローラーブレーキ用のフレーム側
ドイツ国営放送のニュースですが、、大体以下の通り。医者からの多くの訴えにもかかわらず、テストが非常に少ない。 コロナ危機の結果、京介(インタビューを受けた東京に住む2歳の子供を持つサラリーマン、キョウスケさん)はついに自国政府への信頼を失っ
一応最低今日までという外出規制は5月3日まで延長。これまで通り、外で一緒に歩けるのは2人まで、もしくは家族。これまで閉店命令が出ていた商店は面積800qm以下に限って来週月曜から開店出来る。800qm以下というのは良く判らないが、ショッピングモ
欧米から見ると日本は相当特殊な社会に見える。けれど欧米各国自身も相当特殊だと言わざるを得ない。彼らは侵略的な歴史の中で自分達の価値観を世界的な普遍性としてバラまいてきただけのことだと思う。そういう歴史の中で統率者を如何にコントロールするか、
無能な政府がのさばる中、考えを巡らさざるを得なかったんだが、日本においては政治は祭事・祭祀であって一般人が関わる領域ではない、という古代からの意識が働いているのではないだろうか。だから政治に対して興味がないし意識しない、みたいな。徳川が終焉
コロナ以降、外出禁止になった現在までに大幅に変わったことがある。それは消費生活の変化だ。商店が閉ざされたので買物はオンラインということになる。いきおいアマゾンのような何でも扱っている巨大オンライン業が商機を掴んでいる。逆にファッション系はふ
メラル(Meral)のフレームで小旅行車を組んだ。一日のツーリングは引退させたプジョーの代わりにこれで行く予定。フレームは傷も多く、色も自分の趣味ではなかったので最初は塗り替えるつもりだったんだが、ブルーメルの中古ガードを倉庫から引っ張りだしてみ
先にメルケルの談話をつぶやきで書いたが、ドイツでは国民の60から70%が新コロナに感染する可能性がある、というシナリオに基づいて対策を講じて行く、というもの。メルケル首相は若い頃自然科学者(化学博士ですね)として仕事をしていたので、国民に知
ベルリンや来たドイツのパンはおいしくないという定評がある。確かに南ドイツのパンの方が美味しく平均値が高い。最近見つけたパン屋、レオンハルト。カールスルーエから30キロ程は慣れた町のパン屋だが、若旦那はやる気満々で、パンのソムリエ(何か変?な
春の陽気(といっても13℃くらい)なのでお城の庭園に散歩に。今丁度シラが咲いていてあちこちで青い絨毯を見る。写真を撮ってる人も結構多い。ヨーロッパ人、昔は全然写真を撮らなかったけどスマホになってからよく撮るようになった(昔はフィルムがもったい
冬は無かった同然で春になりつつある。自転車乗りにとっては恩恵だが、逆に夏は暑過ぎて自転車に乗れなくなる可能性も大きい(まぁ僕は30℃越えたら自転車には乗りたくないんですが)。公園内では既に花が咲き乱れているし緑も芽を吹き始めている。原っぱでは
うちから電車で30分の町にクリスチャン・ピッテルの自転車店がある。東独エリートにフレームを供給していたDiamant/Textimaのフレームビルダーだった。彼のフレームで世界チャンピオンやオリンピック表彰台になった選手は多い。日本で知られているところで
公園には雁や鴨が沢山居るんだが、種類が多くて名前を覚えるのがたいへん。雁でも小さくて鴨みたいなのもあるし。それにしても草を食べるだけで良く腹がもちますねぇ、見習いたいくらいだ。