総武線、当時複線、すごく多くの貨物列車が走っていた。総て蒸機牽引で主に新小岩のD51、または佐倉のC58。たまにC57が貨物を牽く事もあった。それにしても、各駅停車に近い、貨物扱いをしている駅(沢山有った)に停まって荷物を積み降ろしているような列車もあり、貨車を2、3両繋いだだけの列車も結構あった。それにも増して、単機回送という不経済な運用も結構あった。総武線緩行は当時でもダイヤが混んでいたと思うので、貨物列車はラッシュ時を避けていたはず。記憶では、ちょっと線路脇で待っていれば必ずと言っていい程貨物列車に遭遇した。
これが「開かずの踏切」、千葉大正門への道で、総武線以外に気動車区への出入りも多く、8列車くらい待つ事も、、
貨物列車の主役はD51だったが、特にナメクジと呼ばれたドームが繋がっている初期タイプは目立った。新小岩には21号機と50号機がいた。
千葉で蒸機が牽く貨物最終列車はD5121が牽引。僕はこういう風にお化粧した機関車が余り好きになれなかった。動労が檄文を車体一杯に書き連ねた機関車は問題外としても、日常的に磨かれた機関車に雰囲気が好みでした。
普通のD51というのは余り恰好良い機関車とは思っていなかったんだが、子供心には大きな機関車に見えた。まぁ今見てもそれほど恰好良くなうけど、実際それほど大きな機関車でもないなぁ。
ディ–ゼル機関車DD51やDE10に置き換えられてしまう過渡期には蒸気とディーゼルの重連というのも結構あった。
次回から気動車メインになります。
ログインしてコメントを確認・投稿する