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2020年08月19日06:10

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第1降下装甲師団ヘルマン・ゲーリング

先に書いたハナの夫、マーティンは東プロイセン、マリエンブルク近くで生まれ育った。当時としては愛情豊かで優しい両親に育てられ、新聞記者を夢見ていたマーティンは17歳で招集される。1942年。招集された若者は地域ごとに集められ、取り敢えず農作業をさせられる。その間、武装親衛隊の強引なリクルートがあるが、この組織について良くない話を聞いていたマーティンは何とかリクルートを断る。彼は長身、ブロンドで青い目だがらSSにとっては非常に欲しい若者の一人だった。

どのみち何処かの連隊に編入させられるのだからと、エリート連隊である第1降下装甲師団ヘルマン・ゲーリングに志願、そして受け入れられる。ここは空軍の組織なんだが飛行機も落下傘も全く無い陸戦部隊だ。この連隊は分割統合をくり返し、連隊、師団、軍団と大きくなって行く。

ここでSPW(軽装甲兵員輸送車)やKWK(Kampfwagenkanone)の取り扱いを訓練される。最初の実践はイタリア。ここでは米軍+カナダ軍との戦闘を経験。彼らがフェアな戦いをする事を認識する。気候も良く、ワインや果物も豊富で後の戦線とは全く違う印象を与えた。

その後師団は東プロイセン、ロシア戦線へと転戦する。ソ連軍都の戦闘は様相が全く異なった。マーティンは最初のT34との会戦において砲弾の破片で踵に穴が開く負傷をおう。T34の追撃を何とか徒歩で逃げ切って野戦病院に収容されるが、ソ連軍の追撃にあい、次々に後退する。

メクレンブルクの病院に収容されて回復を待つ。快癒した段階で2週間の休暇が出た(結構のんびりしてる?)ので実家に帰って家族との再会を喜ぶ。その後は師団の司令部があるベルリンに出頭、再びロシア戦線へ送られる。東プロイセンのフロントでは一般人が既に家を捨てて西方へと逃げ始めており、無人になった村々が戦闘の舞台だった。弾薬や食料の補給は不思議と巧く機能していたが、この時点で既にソ連の軍事産業はドイツの軍備を上回る生産能力を獲得しており、ドイツ軍は弾薬や燃料が乏しくなり始めていた。

気温が下がるとソ連軍はT34などの車両エンジンを夜も回しっぱなしにしていてドイツ軍側にも聞こえて来た。全くの余裕だった。ここでマーティンは黄疸になる。戦線を離れたくなかったので薬で治してくれるよう懇願したが、野戦病院送りになる。それはかれにとっては大きな幸運だったと言える。そこではとりあえずシャワーと蚤取りが入院の儀式だった。診察する医師が、ヘルマン・ゲーリング師団か、、もう何週間も服を脱いでないね?と一目で言い当てた。それほど蚤でボコボコの皮膚になっていた。

マーティンが恢復する間、ソ連軍の冬の進攻が始まる。Allensteinの野戦病院は畳まれて歩ける患者は駅から病院列車で西へ移動。それはこの町から西方へ発車した最後の列車だった。バルト海沿岸のPillauの病院で療養を再開するが、ソ連軍は侵攻を進め、ここも危険になり、船で更に西のSwinemündeへ。船は鉄道連絡船だったが動く隙間も無い程人で一杯だった。

そこから列車でArendseeの病院へ移動。ここは何故か重傷患者の病院で、外出は禁じられていた。それほど悲惨な外傷者がほとんどだった。黄疸が恢復して再び司令部のあるベルリンへ。直接司令部に出頭せず、ポツダムに住んでいた叔母の家で3泊している。こういう規則違反や脱走者はFeldjägerと呼ばれる軍事警察が厳しく取り締まっているのだが、マーティンは何事も無く3日後に司令部へ出頭、ラッキーとしか言いようが無い。

ここでパンター戦車の教育を受ける、が既に戦車が不足しており実戦に出る事は無かった。それよりもまず燃料が不足していて、戦車があっても使えないという事態に陥っていた。ベルリンは既にソ連軍の手中に陥落し、ソ連軍は更に西方へと進攻を続ける。ここからは既に軍隊は崩壊し始めており、誰もがソ連軍の捕虜になる事を恐れて西方へと逃亡を始める。

マーティンは部隊の同僚と車で北西へ逃げる。SSも普通の兵隊も何らかの理由をつけて西へ逃げる。アメリカ軍に降伏するのが一番良いというのが総てのドイツ軍人の最後の希望?だった。ソ連軍に摑まったらシベリア送りというのが決まりだった。マーティンはバルト海沿岸まで行き着いて、そこからボートをかっぱらって仲間とリューベク湾を二昼夜漕いで渡り、そこで親切な農家に助けられ、お金まで貸してもらって(戦争直後でもそういう人がいた、、)母親が逃げ着いているというハンブルク近くの町まで到達した。

彼の戦争体験には多くのラッキーな事が重なっている。が、悲惨な光景も非常に多くみなければならなかった。が、戦争と言う異常事態においても平時同様に人間らしさを保ち続けている人達も沢山いた。

本人が書いた記録からの抜粋ですが、ちょっと冗長ですみません、、


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