mixiユーザー(id:11073381)

2020年12月02日06:06

46 view

千葉気動車区 1

ハードディスクの整理をしていたら古い写真が出て来た。子供の頃、ご近所だった千葉気動車区、既に無くなって久しいけれど、ここで僕の鉄分が芽生えたという場所です。
写真は整然と整理されていないので、出て来た順に載せて行きます。大体昭和43年から撮り始めて46年くらいまでかな。ハーフサイズのオリンパス・バカチョン・カメラで撮って自分で現像していたので画面の状態は悪いですが、、、
フォト

これが1961年に出来た千葉気動車区の全容。右上が西千葉駅、ひらり下の先が稲毛駅。田んぼに鳴っている場所は低い土地で、もともとは川だった。この西側にターンテーブルが見える。千葉機関区が廃止されてから、列車を牽いて来た蒸気機関車の方向転換は多くがここでなされていた。気動車区のすぐ上(北側)にある2楝は県営住宅。そのまた北側は今の千葉大学、1961年とうじはまだ東京大学生産技術研究所だった。当時珍しかったロータリー(真ん中は消防用水の池になっている)の北側は京成電鉄の黒砂駅(現在のみどり台駅)。もともとは畑ばかりだったが、この写真では既に宅地化が進んでいる。僕の実家も写ってますが、気動車区から1ブロック離れただけ、、この家から海岸(東京湾)まで歩いて10分程度だった(後に埋め立てで海岸線ははるか彼方に移動)。夏の潮干狩りで賑わっていた稲毛、黒砂には会社や学校の寮も多かった。
フォト

両国行き快速「さざなみ」56M。西千葉駅付近。

フォト

中野行き390レ、この頃は旧型国電もまだ多かった。木製の床の匂いとか、電装の匂いとか、なかなか味のある電車だった。

フォト

165系?(すいません、電車はよくしらないもんで、、)湘南色の試運転。バックは気動車区、そして県営住宅。

フォト

フォト

佐倉機関区所属の28646。形式入りプレートで良い感じだった。区の定置ボイラー(お風呂用)が故障したためピンチヒッター。給水はちょっとだけ移動して気動車の洗車線で。

フォト

フォト

フォト

ちょっと後の話だが、C571が特別列車を牽いた時にターンテーブルを利用。子供らが駆けつけて写真撮り三昧。当時既にSLブームになっていたから小ドッモにも人気だった。区内に立ち入っても誰に怒られるという事もなかった。

フォト

フォト

普段から蒸機が転向して休んでいるのが観られた。

フォト

総武線の貨物列車は総て蒸機牽引という時代で、しかも大変頻繁に来た。当時、復線時代だから結構ダイヤのスジが立っている中を貨物列車は途中駅で抜かれながら健気に走っていた。

フォト

千葉駅の留置き線で待っている銚子方面行きの列車。機関車はC5771。次位は郵便車か新聞を積んでる荷物車、、

フォト

両国から千葉行きの125レ。千葉駅に進入。夕方暗くなる直前なのでまともに写真が撮れなかった。

フォト

フォト

同じく1125レ。場所は稲毛と新倹見川の間。全然家が無い!

フォト

同じ列車(勿論別の日)、場所は多分錦糸町だと思う。

フォト

同じく125レ。時間的に学校から帰って宿題を終わらせて夕食前という時間なので撮りに行きやすかったんだろう、たぶん。場所は稲毛からちょっと上った辺り。後の建物は山田製粉の工場だと思う。もしかしたら違うかも、、

フォト

気動車区脇を行く125レ。

フォト

千葉駅。銚子方面へ行く列車、かと思ったが総武緩行線ホーム脇に止まっていると言う事は房総線の列車?成東方面行き?

フォト

新小岩機関区の機関車は大抵キレイに磨かれていた。

フォト

C57114はきれいになっていたが、何かイベント列車を牽いたんだったかな、、

フォト

1969年4月17日、、雪。天気を確認したらこの日は4月なのに大変寒い日だった。右奥に見える本線のDC急行に抜かれるため、気動車区内の線を走行中の両国行き列車。

なかなか気動車区の写真に行き着かないが、気動車区シリーズ、ルーズに続けます。


5 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年12月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の日記

もっと見る