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2023年12月11日15:39

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北九州文化研究会 講演「戦争とラジオ、そしてテレビ」

旧知の友人が、「北九州文化研究会」のメンバーとして、講演会の案内を下さった。
場所は東八幡キリスト教会。

ウチから最寄りのJR駅は鹿児島本線・二日市駅。
そこから黒崎駅までは快速電車でもけっこうな距離です(;´∀`)。
当日は友人が司会をするので、友人に挨拶もしたく、出かけて行きました。

お話はNHK沖縄放送局のディレクター・渡辺考氏。
まず、北九州出身の作家・火野葦平を取り上げながらメディアの役割についてが、テーマ。
以下、その講演の概要です。
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火野葦平は戦時中「兵隊三部作」を書き、300万部のベストセラーになります。
しかし戦後は一転、公職追放され、彼や親族も「戦争協力者」「戦争犯罪人」と指弾されました。

しかし戦時中、彼は人気作家ゆえ、軍部に利用されたと言えます。
「従軍作家」として、火野のほか、林芙美子など「ペン部隊」と称して中国戦線に派遣、さらに火野の芥川賞受賞が決まると、小林秀雄を派遣し、戦地で「授賞式」をおこないます。これで一気に火野の知名度が上がるのです。

ところが火野がのちに回想していますが、軍部から「日本軍が負けているところを書いてはいけない」「敵は憎らしく書かねばならない」などと制限を付けられていた。
自由な表現ができなかったのです。軍部批判などもってのほかでした。

私はメディアの戦争加担について、見つめることが大事だと思っています。
日本放送協会は戦時下、海外向けに「ラジオ・トウキョウ」という短波放送を流していました。しかし、敗戦時、戦犯追及を恐れ、音源を破壊しています。

「ラジオ・トウキョウ」では「米軍が空襲したが損害軽微」と繰り返し、米軍の戦意喪失を狙っていました。しかし、実際には日本では甚大な被害が出ていた。

この音源、実はアメリカ公文書館で6ミリテープにコピーされたものが見つかっています。アメリカって、ほんとに、なんでも記録を残すんですよね・・。100時間分ぐらいあるので、当時流した内容が分かっています。

「ラジオ・トウキョウ」は当初、国際親善のために始まった放送でしたが、軍のプロパガンダとなっていった。今で言うフェイク・ニュースですね。

1925年に日本でラジオ放送が始まりますが、これを規定する法律の第1条に、

「政府がこれを監修する」とあるんです。政府のコントロールのもとで、ラジオ放送をやるものだという前提でした。
そして、戦争がはじまると、聴取者が一気に増加。戦争報道が、興味をわきたたせた、と言えます。そして軍の言い分をそのまま垂れ流していたわけです。

戦争に向かう時、言論とメディアは、真っ先に権力からプレッシャーを受けます。
権力に立ち向かい、ファクトチェックをし、戦争を押しとどめるのがメディアの役割です。

私は、かつて特攻隊をテーマにドキュメンタリーを制作しました。アドバイスいただいたのは、記録作家の故・林えいだいさんです。

特攻隊の兵士は出撃して全員死んだわけではない。
実は不時着したり、計器の不調で引き返したりといった場合も多かった。

そういった若者たちを収容する「振武寮」が、現在の福岡市中央区薬院にありました。
軍は「敵艦に突入して4千人が死亡した」「お国のために散華した軍神」と国民に言ってたんです。
だから「軍神」が生きていてはまずい、というわけです。

みんな笑って「お国のため」と死んでいったわけでない。「死にたくない・・」と本音をもらしていた特攻隊員もいたけど、そんな実情は絶対に知らされません。

火野葦平のドキュメンタリーも制作しましたが、火野が1960年に書斎で自殺したあと発見されたものがありました。

それは「兵隊三部作」に付け足して、本来書きたかった、軍部に禁じられていたシーンが書き加えられたオリジナルの原稿でした。
そこには、中国人捕虜を斬首する場面もあります。火野はこれをもって「決定稿」としました。

私は、火野が命を懸けて教えてくれたのは、自分自身の言葉で書く、正しいと思ったことを貫く、ということだと思います。
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このあと、渡辺氏と、会場の東八幡キリスト教会の牧師であり、ホームレス支援を長らく続けていらっしゃる、奥田知志氏との対談がおこなわれた。

奥田氏は「未来のために、ジャーナリズムの公平さが必要」と語り、渡辺氏は、「『今のこと』をやろうとすると、大きなハレーションがどうしても起きてしまう」とドキュメンタリー制作の難しさを話されました。
また、渡辺氏が番組制作にあたっては、「ヒューマンドキュメントが基本。そして自分がほれ込んだ人間を描くことにしています。火野葦平もチャーミングな人だったと思う」と述べました。
最後に、奥田氏は、なぜ長年ホームレスに寄り添っているのか、ということについて、「聖書で言う、『小さくされた人(虐げられた者)』をホームレスの人々に感じるのです。それは調子よく生きて世の中を渡ってきた人にはわからないものです」と聖職者らしい言葉。そしてナチスのゲーリンクの「戦争をするのは簡単だ。国が危険にさらされている、と言い続けるだけでいい」という言葉を紹介して、日本の現状に警鐘を鳴らしておられました。
(12月10日)
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