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2023年08月08日11:24

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真夏の夜の夢~ミンミン蝉を聴きながら、京都芸術大学有志制作の「栞」を読んだり、吉本隆明の「アフリカ的段階について」を思ったり



照る日曇る日 第1935&36回

京都芸術大学教授の大辻都さんが編集人となって「綴」というタイトルの四つ折り小冊子を発行されました。

大辻さんの「アートライテイングを読む」をはじめ、上村博さんの「イカものに喰われる」、青木由美子さんの書評「その嘘、ほんと?」、君野隆久さんの「立原道造の手紙」、林田新さんの「カメラは揺れる、虚実は交じる」など、いずれも短文ながら力の籠った魅力的な読み物ですが、その中に居村匠さんが「芸術と書くことについて」という20世紀のブラジル・モダニズムを論じたエッセイがありました。

私は全く知らなかったのですが、ブラジルでは1920年代にモダニズム芸術運動が起こり、サンパウロ出身の作家オズヴァウヂ・ヂ・アンドラーデによる「食人宣言」がその代表的な成果になったと書かれていました。

彼は「食人だけが、わたしたちをひとつにする。社会的に。経済的に。哲学的に」と断言し、この「食人」という米大陸先住民への否定的なレッテルを反語的に逆転させ、西欧先進国に対する独自の政治的、経済的、文化的アイデンティティを確立しようと提言したそうです。

ブラジルはその宗主国であり、ブラジルの美味しい本来を暴力的に喰い荒した「食人国」のポルトガルから独立したあと、オズヴァウヂが実践した「法と美術」という2つの切り口で西欧近代の植民地主義と闘った、と鮮やかに総括されていましたが、そのとき私が思い出したのは、晩年の吉本隆明が書いた「アフリカ的段階について―史観の拡張」という研究論文でした。

この論文の主旨は、以下のようなものです。

「あたかも19世紀の西欧資本主義社会の興隆期に、ルソーやヘーゲルやマルクスによってかんがえられた西欧近代社会を第1社会とし、これに接するアジア地域の社会を第2社会とし、アフリカ大陸や南北アメリカやその他の未明の社会を旧世界として世界史の外におく史観が、アフリカ大陸の社会の興隆とともにさまざまな矛盾や対立を惹き起こし、それがヘーゲル、マルクスなどの19世紀的な史観の矛盾に起因するとみなされるとすれば、「アフリカ的段階」という概念を、人類史の母型(母胎)概念として基礎におき、史観を拡張して現代的に世界史の概念を組み替えざるをえないかもしれない」(吉本隆明同論文の序)

現世人類の起源はアフリカですから、人類史の母胎はアフリカに在るかもしれない。ではそこ着目しての「史観の拡張に拠る世界史の概念の書き換え」とは、なにか?

歴史とは、未開から進歩、古代から近代、近代から現代、未来へと単一の時間軸で同一方向に直進するのではなく、その逆行や反復、迂回やループをともなう複雑で微妙な人間活動の全体と考えることも出来るのではないでしょうか。

殊に最近の世界各国の「正史」に逆行するようなアナーキーかつアナクロな社会変動を目にすると、かつてヘーゲルやマルクス、エンゲルスが唱えた史的唯物論が懐かしく思えるほどです。我々の未来は、天国どころか煉獄に通じているのではないでしょうか。

それはともかく、西欧先進諸国の植民地弾圧にもめげず、しぶとく地下茎のように生き永らえてきた「アジア・アフリカ的段階」は突如現代史の異端児として復活を遂げ、まるで地球外小惑星のように既存の政治経済文化的価値観に衝撃を与え、危急存亡の瀬戸際にある現代史を秘かに転換する可能性を持っているかもしれません。

そしてそれは、最近柄谷行人氏が「力と交換様式」で現代史救済の最終兵器として位置づけている「交換様式D」の登場と、深い関連を持っていると考えるのは私の妄想でしょうか。

       音のみで空を揺るがす花火かな 蝶人


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