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2023年06月25日23:17

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シマノフスキ 交響曲第4番《協奏交響曲》

5/21(日)のNHK-Eテレ「クラシック音楽館」ではN響第1979回定期公演が放送された。
プログラムはドボルザークの序曲《フス教徒》、シマノフスキの交響曲第4番、ブラームスの交響曲第4番。
指揮はチェコ出身、世界の名オーケストラを指揮して活躍中のヤクブ・フルシャ(1981- )。

今回は、滅多に演奏されないシマノフスキ(1882-1937/ポーランド)の交響曲第4番Op.60についてレポートしようと思う。
シマノフスキで最も聴く機会の多いのはヴァイオリン協奏曲第1番Op.35だろう。これはD・オイストラフ,J・ヤンセン,I・ファウストのソロで聴いた事がある。とは言っても、何れも生ではない。

交響曲第4番は《協奏交響曲》という副題が付いている。1932年50歳での作曲。54歳で亡くなったシマノフスキとしては晩年の作品である。
4つある交響曲の最後の作品だが、ピアノ協奏曲のカテゴリーに入れてよい曲だ。(*1)
作曲家本人がソロを演奏する事を前提にピアノ協奏曲として作曲はスタートしたものの、ソロにオーケストラを凌駕する程極端な比重を持たせる事はしなかった。ために、最終的にはピアノ協奏曲との呼称を採らなかった。
副題が協奏交響曲となっているのは、ピアノ以外にも、ヴァイオリン,ヴィオラ,フルート等にソロがあるからだ。

(*1)今年2023年3月にリサイタルを聴いたマテウス・クシジョフスキは、2022年のパデレフスキ国際ピアノコンクールのファイナルでこの曲を弾いて優勝している。
 参)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984671971&owner_id=3341406

シマノフスキは作風を変えながら作曲活動を展開、4つの交響曲、2つのヴァイオリン協奏曲以外に、2つのオペラ、2つの弦楽四重奏曲、バレエ音楽、多数のピアノ曲、歌曲その他を遺した。
作風によって、初期(1899〜1910年)、中期(1911〜18)、後期(1920〜34)と分類されている。

・初期(1899〜1910年);
ショパン,スクリャービン〜ワーグナー,リヒャルト・シュトラウスらの影響が強い後期ロマン派的作風。
・中期(1911〜18);
ドビュッシー等の影響を受けた印象主義的作風。
・後期(1920〜34);
ポーランドの民族音楽を取材、その要素を取り入れた新古典主義的作風。(*2)

(*2)ショパンやパデレフスキはポーランド北部低地地方の民謡を取材したが、シマノフスキはポーランド南部タトラ山地に住むグラル(またはグラレ)人達の音楽を研究した。

ポーランドの民族音楽と言っても、シマノフスキの考えたそれは、マズルカやポロネーズといった表面的な素材を使用するのとは異なり、もっと知的で文化的なもので、いささか分かりにくく、当時のポーランド国民に熱狂的に受け入れられたとは言えない。

シマノフスキは古い時代の文学・歴史・文化の研究にも熱中した。
1910年代前半、シマノフスキはローマ、シチリア、アルジェ、チュニス等の地中海諸都市を旅し、第1次大戦勃発によって帰国後は古代ギリシアやキリスト教以前、ないし初期キリスト教、イスラムやオリエント等の研究に没頭した。
中期作品である交響曲第3番《夜の歌》(1914-16)の歌詞は、13世紀ペルシアの神秘主義詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩のポーランド語訳を使用している。
歌劇《ロジェ(またはルッジェロ)王》(1918-24)は12世紀シチリア王を題材にしている。

1917年にはロシア革命の余波により生家が破壊され、シマノフスキは精神的なショックにより音楽活動から遠ざかり、2年程の間小説創作に専念した。

1918年に第1次大戦が終了しポーランドが独立を果たすと、シマノフスキは祖国の音楽にも興味を持ち始める。
またヨーロッパ全体の趨勢でもあるが、新古典主義的な方向への変化も示す。
1921年頃からは南部タトラの山岳民族グラル人の民謡に傾倒、別荘を借りて度々訪れるようになった。
後期作品 歌曲集《スウォピエヴニェ》(1921)の素朴な響きと躍動感のあるリズムは、古ポーランド語の歌詞とグラル音楽の特徴を組み合わせて実現した。

このように、シマノフスキの芸術活動の根底には古代〜中世の文化に対する共感があり、彼がポーランドの民族性(または民族音楽)と言った時、それは、19世紀半ば以降の民族主義者の指すものとは違うし、スメタナ(1823-84)等国民楽派の指すものとも異なっている。
シマノフスキにとって、マズルカやポロネーズのリズムさえ使えばポーランド風という単純な事柄ではないと言ったのは、こうした意味からである。
彼はグラルの音楽から中世シチリアやキリスト教以前の世界とのつながりを見出したのであるが、これは理解が容易くない。
当時のポーランドの人々がシマノフスキの音楽から感じ取ったのは、自国の民族性と言うより「カオス(混沌)」であったかもしれない。

交響曲第4番《協奏交響曲》は、1932年作曲、シマノフスキの後期に入る作品。
簡潔さと明晰さ、新古典主義に共通の性格を有し、3つの楽章で構成されている。

・第1楽章;
モデラート〜テンポ・コモド、3/4、ヘ長調。自由なソナタ形式。
弦のピツィカートに乗り、ピアノソロがユニゾンで入る。フワフワしたメロディはタトラ山地の民俗音楽に由来する。
木管が加わり室内楽的な響き。
第2主題はヴァイオリンによる叙情的なもの。
トランペットが鋭く入り、オーケストラ全体が動き出す。
テンポは激しく変化する。
最後近くでピアノによるカデンツァ。長大なものではない。
勢いの良いリズミックなコーダ、コン・ブリオで終結。

・第2楽章;
アンダンテ・モルト・ソステヌート、4/4、イ長調。緩徐楽章。
神秘的なピアノソロに続き、ヴィオラ、ヴァイオリン、フルートのソロが立ち替わりながら続く。
大きなクレッシェンドでドラマティックなピークを形作り、その後静まり、第1楽章の第1主題が回想され、休むことなくアタッカで第3楽章に入る。

・第3楽章;
アレグロ・ノン・トロッポ、マ・アジタート・エド・アンショーソ、3/8、ヘ長調〜イ長調。
打楽器が活躍するマズルカ風の躍動的リズム。
一旦テンポを落として静まり、ピアノソロが夢幻的な音楽を奏で、再び速度を上げて突き進む。
小太鼓,大太鼓の連打にオーケストラは幾度もうねりながら、スマートでダイナミックなコーダでエンドを迎える。
このエンドは他に例を見ないもので、驚きがある。

ピアノソロはピョートル・アンデルジェフスキ(1969- /ポーランド)。
シマノフスキ以外に、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、ヤナーチェク、バルトーク、ウェーベルン等、レパートリーを限定して演奏活動をしている。
知的な演奏スタイルで、高い完成度を志向する。室内楽にも積極的に挑む。

・アンコール;
マズルカOp.50-3(1924-25)
シマノフスキ後期のピアノ独奏曲〈20のマズルカ〉より。
 

〈参考資料〉
『シマノフスキ 人と作品』
 監修・執筆 田村進,寺西春雄,松平朗 他
 発行 1991年、春秋社

パンフレット「NHK交響楽団第1979回定期演奏会」
 〜寄稿『シマノフスキにおける原初的文化としての「ポーランド」』
 執筆 重川真紀
 発行 2022年12/12、NHK交響楽団
 
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