(続き)
◆本企画の訳
ベルリン国立歌劇場はどうしてこのオペラを選んだのだろうか。
元々2020年の計画だったが、新型コロナの蔓延のため延期、昨2022年12月、コロナ後の再開第一弾公演とした。
ロシアのクリミア侵略は、2014年のクリミア併合から始まった。
紀元前2〜1世紀、物語の場ニンファイオンはクリミア半島の東端に位置する港湾都市である。そこへ超大国ローマが巨大な物量と兵力にもの言わせて攻め込んでくる。
この関係は、どう考えてもウクライナと大国ロシアの関係に似ている。
ローマの攻撃によってニンファイオンは廃墟となり、王は自死に追い込まれるが、遺された者達はラスト、気丈に歌う。
その歌詞には大国ローマの性格が歌われている。
要約すれば・・・
傲慢で好戦的。決して退却せず、平和を考えない。
支配欲によって、世界から自由を奪おうとしている。
・・・
まるで今のロシア、プーチンのロシアの姿そのもののように思える。
敵領地に密かに護民官を送り込み、王の長男を懐柔しようとするやり口も、スパイ戦、情報戦によって支配民達のロシア化を進める戦術と似通う。
まあ、戦争というものは、古えより多かれ少なかれそうしたものかもしれないが。
念のため言っておくけれども、この章で書いている事柄は私の勝手な憶測であって、ベルリン国立歌劇場の発言ではない。
◆宮城聰の演出意図
それはともかく、今回の公演はSPAC芸術監督の宮城聰の演出が話題となった。
280年のベルリン国立歌劇場史で日本人の演出は初である。
幕後、劇場は大きな拍手と喚声で満たされた。
以下に、宮城聰のインタビューを紹介する。
「外国人に歌舞伎の演出をさせるみたいなものじゃないか、と、自分の中ではひるみはあった。ベルリンでモーツァルトの演出をするなんて、勝ち目があるのか、みたいな。
そんな気持ちもあったんだけど、行ってみたら、集まってきているアーティスト達の国籍がバラバラで、ドイツ人は1人いるくらいのものだった。
世界中の人達に集まってもらってモーツァルトを上演する事により、モーツァルトが世界の芸術、現代の芸術になるんだとという、そういう決意みたいなものを感じて、やる気が出た。」
宮城の演出に通底するのは、舞台を通して、観る人に何らかの希望を届ける事。
しかし、今回、絶望に突き落とすような結末の台本を手にして、途方に暮れた。
確かに、オペラの歌詞には、復讐や報復という単語が繰り返し出てくる。
「さてどうしようと考えた。世界は戦争が続き、戦争は復讐の連鎖となって悲惨な深みにはまっている。
しかし、復讐の連鎖に陥らなかった歴史もあるのではなかろうか。
例えば、日本が第2次世界大戦に負けたあとに、何故か復讐の連鎖に陥らなかった。
何で日本はあそこで、原爆を落とし、東京大空襲をしたアメリカ軍に対して復讐しなかったんだろう。どうしてなのかなって考えてみた。
で、その時に頭に浮かんだのが”鎮魂”という事。鎮魂という考え方があったおかげで復讐の連鎖に入らなくて済んだ、のかもしれない。
という事は、この《ミトリダーテ》のエンディングに鎮魂を付け加えれば、お客さんに、ああこうすれば復讐の連鎖に入らないて済むっていう希望を渡せるんじゃないか、そう考えた。」
中央アジアの小国ポントとローマの関係を第2次大戦の日本と欧米に重ねた宮城、絶望の中にも仄かな希望を提示するため、このオペラを「鎮魂劇」として演出する事にした。
この歌劇は14歳のモーツァルトが作曲したいわゆる”オペラ・セリア”。
オペラ・セリアとは、神話や伝説を題材にしたオペラ形式の事。
登場するのは、人間とは別次元の巨大な存在だ。
今のオペラは、観客が共感できるように等身大の人間のストーリーとして演出するのが一般的だが、宮城はそんなヨーロッパの常識に一石を投じようと考えた。
「僕は、その古臭い形式に、等身大の人間のやりとりを超えた、”カタルシス”とも言える演劇的な感動、すごく大きなものがある感じがした。
地球を鳥の目から、また神の目から見る事によって生まれる”浄化”、見ている人にとって体の中がスーッと気持ち好くなっていくような浄化の力、これがオペラ・セリアにはあると僕は感じる。
だから、これを古臭いものだからと思わず、むしろ本来のオペラ・セリアの力を復活させたいと考えたんだ。
その時、オペラ・セリアとすごくよく似ていると思ったのが、歌舞伎、特にいわゆる時代物歌舞伎だ。
この２つの演劇形式の共通点を活かすため、歌舞伎の演出テクニックを《ミトリダーテ》に持ち込んでみようと思い、装置も桃山風の金屏風的な世界にしてみたし、歌舞伎舞台の仕掛けも取り入れてみた。」
宮城は、歌手達に、互いに感情をぶつけ合うのではなく、神との対話の中で心の内を晒すような表現を要求した。
しかし、普段感情をリアルに表すのに慣れている歌手達にとって、抑制的な表現は難しい挑戦だったようだ。
「(出演者達にこう言った) 顔の表情があまり出てしまうとあなたの存在が等身大になってしまうよ、その辺にいる人が舞台に出ているって感じになってしまうよ。この人物はそうでなく、何百年の歴史が人間という形をとった、いわば観念そのものが舞台に出ているので、迂闊に表情とかを変える事はできない筈だよ、と。
皆、それに応えて頑張ってやってくれた。
あっしまった、ちょっと動いちゃった、みたいな事を言いながら。
これくらいは動いていいの？ それぐらいはOK！ なんて会話を交わしながら。
感情表現はモーツァルトの音楽の中に既に内在している、古い形式に則って作っていても、音楽の中には感情が籠っている。
登場人物達のスケールの巨大さ、非等身大のあり方と、音楽の中に内在している抗いがたく人の心を掻き立ててくる感情、これをどうやって両立させるか、そのバランスが僕の仕事だったのだと思う。」
「世界はいよいよ力による支配、力を持てば相手を黙らせられるんだという、そっちの方へ傾いでいる。
日本もその影響を受けて、鎮魂によって復讐の連鎖を終わらせようという方向よりも、面倒くさいからもっと力を付けようという方向になっていると思う。
ワーって傾いでいってる時に、”でもさあ”って発言する人がほんのちょっとでもいると、それによって多くの人が立ち止まってくれるのではないかなって、そんな事を思っている。」
(続く)
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