照る日曇る日 第1848回
冒頭、「哲学とは、すべての人間の共存とエロス的共生の条件を作り出す『普遍暴力の縮減』のために、普遍的な世界説明を創り出す試みである」、と宣言する著者による哲学入門書である。
私は哲学書が大の苦手で、今までプラトンとアリストテレスくらいしか読んだことがないが、それにしてもどうしてかくも糞難しい言葉ばかり用いなければ叙述できないのかしら。著者は、哲学者の中でも平易な語り口を得意にしているそうだが、何回読んでも訳の分からぬ専門用語や概念が、これでもかこれでもかと繰り出されてくるのには閉口した。
「まずニーチェとフッサールの達成に依拠しつつ認識問題を解決し、普遍認識の可能性を根拠づけ、次に一切の哲学的存在論がそれを土台とすべき価値の哲学の基礎づけを「善」と「美」の価値審級の発生論として試みた」と総括されているが、かの井上ひさしが言うたように、難しいことを難しいままに綴るのではなく、素人にも分かるようにやさしく書き綴るのが、ほんたうのプロの仕事だと思うのである。
まあ超頭の悪いおらっちなど、はなから読者の対象ではなかッたんだろうが、それでも第8章「善と悪」、9章「きれい-きたない」審級あたりから、だんだん良く鳴る法華の太鼓で、クライマックスの10章「美醜」、11章「芸術美」なんかは血沸き肉躍ったから、まあ読んで得したほうなんだろうな。
「集合的生の必要が生み出す、禁止と規範の体制に対する人間本能の対抗策、禁止領域を幻想的に乗り越えようとする「侵犯」の試み、それが宗教、エロテイシズム、芸術という形式をとる」(第12章「芸術の本質学」より)
どうでもいいけど、この人はフッサールの現象学よりも、バタイユの欲望論の影響を強く受けているのではないだろうか。
倫敦のウィグモアホールのコンサート室内楽をユーチューブで聴く 蝶人
ログインしてコメントを確認・投稿する