照る日曇る日第1728回
吉川弘文館の「対決の東国史」叢書の1冊なり。
だが、この両一族は対決どころか、義時&義村時代に見られるように、その大半が利害を共通した共存共栄の連合体を形作っていたようだ。
それが一夜にして逆転するのが宝治元年6月5日の宝治合戦で、この日両勢力は、双方の首領北条時頼、三浦泰村の思惑とは裏腹に「和平を望む泰村の意に反して三浦一族内の交戦派勢力に引きずられる形で挙兵に至った」というのが著者の分析であるが、さて実際はどうだったのだろう?
他の多くのゲバルトと同様北条派の策動と陰謀の産物でないと言い切れるだろうか甚だ疑問である。
最近の若手研究者の新書本の著作を読んで感じるのは、この時代の事件や人物を解釈する際の手法が、文献至上主義に偏っているのではないかということだ。
すなわち「吾妻鏡」と「愚管抄」、「平家物語」などを主軸に論理を運んで、それらの文献相互の矛盾が最も少ない地点を落としどころに自説を設定するやり方であるが、その際いくら理屈を重ねてもその時代や人物のリアルな姿形が浮かび上がってこないことが多いのである。
我々は、「いわば歴史に対する直観と想像力が欠如したタダモノ論に堕する思考の残骸を読まされる訳で、本書もそのような欠陥から逃れているとは言えない。
世界中を敵に回して戦するお前は偉大な現代のツァーリ 蝶人
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