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2021年12月27日14:21

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樋田毅著「彼は早稲田で死んだ」を読んで

照る日曇る日第1689回

1972年11月8日、早稲田大学文学部のノン・セクト学生、川口大三郎君は、革マルの集団リンチによって撲殺された。本書はその暴挙に衝撃を受け、革マルの暴力による恐怖支配に対して「非武装言論闘争」だけで立ち向かった著者による、背筋が寒くなるような告白録である。

大学を去ってからの早稲田大学文学部の惨状がこれほど酷いものだとは、恥ずかしながら知らなかった。当時大学院に通っていたK君などは、文学部のスロープ辺りでフランケンシュタインに恫喝?されたなどと語っていたが、よくも殺されずに高田馬場から離脱で来たものだと思うばかりである。

ある段階からは、目には目、歯には歯、やられたらやり返せ、とばかりに、どこのセクトも武装して徹底的なゲバルトを実行するようになってしまったが、革マルは主要敵である国家権力や警察に刃向かうよりも、本来は大同団結すべき左翼系セクトに対して近親憎悪的ゲバルトを差し受けることが得意な、特異な党派であったが、早稲田では、なんと一般学生にまでその毒牙を剥きだしていたのである。

その殺人集団革マルの暴虐に最後まで素手で対抗した著者であったが、そんなガンジー張りの寛容主義者に対しても革マルは、情け容赦なく鉄パイプで滅多打ちにして、入院を余儀なくさせる。

川口君虐殺の後、いったんは自治会から追放された革マルだったが、著者が主導する新自治会勢力をテロで屈服させ、1973年7月13日の文学部急襲以後は、再び早稲田を戒厳令下に置くことになったのだが、その日研究室に逃げ込んだ女学生を守るために、毅然と対応した江戸文学専門の神保五弥氏は、男として立派だと思った。

本書の白眉は、川口事件が起こった当時の革マル一文自治会副委員長の大岩圭之助(現在の明治学院大学教授、辻信一)との対談であるが、4時間に及ぶ討論の中で明かされる大岩選手の思想と人間像は、著者の誠実さとは対照的で、なるほどこういう人物が「スローライフ」の元祖になりおおせたりしているのか、といささか鼻白んた次第である。

 「30年後にはこうなる」というけれどどうでもよろし我は死んでる 蝶人

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