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2021年09月22日10:52

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正岡子規著「花枕他二篇」を読んで

照る日曇る日第1634回

文学者は、みな小説家になりたがる。短詩形の詩歌は短いが、小説は長いから原稿料が入りやすいからだろう。もちろん正岡子規も、あの石川啄木も、小説家になりたかったのだが、事志と違って、その代わりにというては何だが、もっと物凄い存在になり上がってしまった。

しかし子規は病気で政治家を諦めて文学に転出してからも、のちの漱石のような流行作家になりたかったのは間違いない。

そんな子規であったが、2本の未完作を含めて、生涯で7つの小説を書いていて、この文庫本では、処女作の「月の都」(明治25年大学時代に執筆、発表は27年)と「花枕」(明治30年3月)、「曼珠沙華」(明治30年9月)、の3つの短編が読める。

「月の都」は、相思相愛の若い男女が、ついに結ばれずに月の都へ逝ってしまうという悲恋幻想物語で、漱石の虞美人草を凌ぐ巧緻を極めた漢文脈の文語体で綴られているが、いくらこれでもか、これでもかと名調子の美文を並べても、肝心の内容自体が幼稚なので、これを読まされた幸田露伴が推薦を尻込みしたのは理解できる。

けれども、もし子規が「月の都」を現実派の露伴ではなく、理想派の鴎外に持ち込んでいたなら、別の道が開けていたかも、と思わないでもない。

3年後の「花枕」も哀しい幻想小説で、継母に苛められている貧しい花売娘を2人の天使が救おうとするが、姉も一緒にと願うために果たせないという悲話であり、後年子規が激賞した一葉に比べると物語のプロットが弱すぎる。

「花枕」と同じ年に執筆された「曼珠沙華」も、花売り娘がヒロインの悲恋小説であるが、これは短編というよりも中編で、しかも発展途上中の口語体で書かれている。

ここでは娘を好きな癖に、親に言われるがままに富豪の子女を娶ろうとする気の弱い主人公の揺れ動く心中が、写生文で描き出されていてちょっと二葉亭四迷の「浮雲」を思わせるが、物語の結末は、横山大観の画のごとく朦朧としている。

しかしそういう構造的な欠陥はありつつも、子規の小説の随所に読みどころはあり、万が一彼の健康と長寿、さうして同時代の良き指導鞭撻者を得たならば、詩歌以上の傑作を生みだした可能性は、なきにしもあらずと思えるのである。

  「お庭にはいっぱい蝉の抜け殻があるのよ」といううちの奥さん 蝶人

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