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2021年08月07日07:48

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小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』

 小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』(藤原書店、2012年)を読了。日本の近代というのは朱子学化の歴史だった。<朱子学的思惟>は共同体の全ての構成員を一つの<理>によって<主体化>し、それぞれの体現する<理>の多寡によって<序列化>する。
 ここでの<主体>は自己決定力を持ち、自律的に振る舞うことが出来る反面、その自律性は実は<理>によって規定されている。しかし、ある社会を変革し、改革してゆく際には何らかの形で構成員の<主体化>と<序列化>が必要とされる。徳川時代に朱子学的な社会システムは存在せず、明治日本に社会がラディカルに再儒教化され、日本人たちは斬新な<朱子学的思惟>に熱狂し、その思想こそが西洋近代であると誤解した。
 日本だけではなく韓国や中国も近代という朱子学化の時代を疾駆し続けている。ただし、東アジアの<朱子学的主体>は言葉の真の意味で創造的ではなく、経済成長はしても人々は幸福になれずに苦しんでいる。朱子学的な変革は進行すればするほど社会に奴隷的な<主体化>と<序列化>が増殖する。
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