mixiユーザー(id:5348548)

2019年07月29日15:48

558 view

「隠された奴隷制」植村邦彦(集英社新書)

タイトルに「奴隷」なんて入ってるとまずぎょっとする。
少し前に新聞広告で見て思わず見入ったら、なんと著者はわたしの大学時代の恩師だった。

これはちゃんと読まねば・・とその日、祇園祭の山鉾巡行を見に行っていた、京都の四条通りの書店で購入。
************************
<Amazonの内容紹介より>
マルクスの『資本論』には「隠された奴隷制」というキーワードが登場する。一般に奴隷制と言えば、新大陸発見後にアフリカから連れて来られた黒人奴隷が想起され、すでに制度としては消滅している。しかし著者によれば、「自由」に契約を交わす、現代の私たち労働者も同じく「奴隷」であるという。その奴隷制はいかに「隠された」のか。格差社会はじめ諸矛盾が解決されることなく続く資本主義にオルタナティブはあるのか。マルクス研究の大家である著者がロックから現在に至る「奴隷の思想史」350年間を辿り、資本主義の正体を明らかにする。
**************************

ふだんはエンタメ小説とかばかり読んでるもんだから、専門書を読むにはなかなかアタマがついていかない。
だが、本書は昨年末、東京で開かれた「マルクス生誕200年シンポジウム」の発表をベースにしているということで、そんなわたしにとってもだいぶ読みやすい体裁となっている。
で、植村先生には、

「世界史の教科書で「啓蒙思想家」と単純に思っていたモンテスキューが足元の奴隷制は眼に入らないかのようにアジアの後進性をあげつらっていたり、そんなモンテスキューをヴォルテールががんがん批判していたり、マルクスに先だってジョン・フランシス・ブレイが、「隠された奴隷制」について言及していたことなど、無教養なわたしには初めて知ることも多く、そしてマルクスのいう「隠された奴隷制」が、比喩などでなく、資本主義が最初から抱え込み、21世紀にも内包されて、新自由主義の提唱からさらにさまざまな問題が深刻化している過程がよくわかりました」

と、まるで中学生のような感想をメールで送ったのであった(;´∀`)

「奴隷が受けるのが暴力的な「直接的強制」だとすれば、「自由な労働者」は、雇用されて働く以外に選択肢がなく、失業したら生きていけない、という経済的な「間接的強制」を受けているのでありる。しかも、「自由な自己決定」の結果については、必然的に「自己責任」が問われることになる。」(142頁)

「(1979年8月に日本政府が発閣議決定して発表された「新経済社会七か年計画」について)これが、日本の政府によって表明された新自由主義政策の出発点だった。ここからわかるのは「個人の自立心」や「自助努力」、それに対応する「個人の責任」といったキーワードが、奴隷制を覆い隠す「新しいヴェール」として使われ始めていることである。このような言い回しは、「社会主義」国家が体制転換し、グローバリゼーションが唱えられるようになった1990年代により決定的なものになる。「自己責任論」の登場である。」(167頁)

資本主義の行きつく先は新自由主義的競争社会という暗い未来なのか、「労働者協同組合的ネットワーク社会」をめざすのか、分岐点に来ていると本書は指摘する。

植村先生からは「明確な結論はないけれど、いろいろと考えてもらう材料を提供できたと思っています」とメールにて返答を頂いた。
6 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年07月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031