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2019年07月06日08:22

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田辺聖子評概読

 先頃物故した田辺聖子について、斎藤美奈子による評文が朝刊に出ていた。紹介されている作品と、愚生の読んだ作品とはほぼ一致しなかった。一致したのは「言い寄る」ぐらいか。ウィキペディアには、「隼別王子の叛乱」、「舞え舞え蝸牛 」が取り上げられている。一致度はその方が高い。
 徒然草について、吉田兼好の恋愛経験は少なかっただろう、というような言葉を拾い出すあたりが評者の真骨頂ではある。しかし、岸本水府、杉田久女、一茶の短詩形文学に取材した作品への言及がなく、特に大阪文化圏からの発信という意味も含めて、水府について取り上げられなかったのは残念である。人によっては、カモカのおっちゃんが出てこない方に寂しさを感じるかもしれないが。
 おそらく、川柳という文芸の紹介として、「道頓堀の雨に別れて以来なり――川柳作家・岸本水府とその時代」を越えるものは未だにない。概説というものは以外と難しいもので、というのは言葉の綾で、概説ほど難しいものはない。前人未踏の川柳文芸の概説をやってのけたという事の意義は大きい。
 菊池寛の「真珠夫人」に、主人公主催のサロンで明治文学の概観を議論し合う場面がある。登場人物が色々と議論し合う中で、傍流と思われていた樋口一葉がクローズアップされるところは、概観を述べやすいところから始めて次第に核心にせまってゆく。概説がただ一人の業とするには難しい面を象徴しているように読める。
 評しやすい司馬遼太郎などと比べると、田辺聖子は評しにくく概説を作りにくいのも事実であろう。ここに書いたことは無い物ねだりであることは承知した上でやはり残念な気持ちは残る。
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