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2019年05月15日23:49

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佐藤賢一『ドゥ・ゴール』(角川選書、2019年)を読む

 佐藤賢一『ドゥ・ゴール』(角川選書、2019年)を読む。著者の佐藤氏は作家で、ヨーロッパの英雄たちを主人公にした作品を多く世に出している。大作『小説フランス革命』もまた、革命で活躍する人物を通じてその展開を描いたもので、私も夢中になって読んだ。
 他方、新書でもフランス史をしばしば書いている。この『ドゥ・ゴール』もそれに連なる、言わずと知れた20世紀フランスの英雄、シャルル・ド・ゴールの評伝である。

 通史的にド・ゴールを捉えると、極めて強い個性で戦中、戦後のフランスをリードした政治家と映る。もっとも、その行動は大胆というか、向こう見ずである。第二次大戦でフランスが占領されると、ほとんど単身でイギリスに渡り、そこで態勢を整えて本土復帰を目指すわけだけれども、彼を庇護するイギリスやアメリカに対しても意地を張って無茶な要求をしている。その態度は戦後を通じても変わらず、というかむしろ尊大になって、イギリスにはEC(ヨーロッパ共同体)の加盟を認めず、アメリカにはNATO(北大西洋条約機構)からの脱退を通告する。イギリスやアメリカの指導者からみれば、これほど扱いにくい存在はない。

 しかし、ド・ゴールにしてみれば、国際的にはほぼ無名の存在で、占領されたフランス奪還の指導者となるためには、とにかく存在感を示す以外にはない。事実、大戦期には英米ともに、より知名度のあるフランスの政治家や軍人を招聘しようとしていた。ド・ゴールにしてみれば、そのような人物ではたとえフランスを奪還できたとしても、他国の傀儡になりかねない。祖国の奪還、それも偉大な国であり続けるためには、強力なリーダーシップを発揮する個性がなければいけなかった。

 その活躍によって、英米もド・ゴールの存在を認めないわけにはいかなくなった。ド・ゴールは北アフリカの植民地、アルジェリアを拠点としてドイツ軍やときにその傘下に入ったフランスのヴィシー政権とも戦い、ノルマンディ上陸作戦を経て、パリ解放を果たす。ド・ゴールのパリ凱旋は市民の歓呼に迎えられた。

 しかし戦後は、政党主導の「決められない政治」に嫌気がさし、首相を辞任し、田舎に引っ込んでしまう。再登板は、植民地のアルジェリア独立をめぐる戦争で、フランスが危機に瀕していたときであった。これを機にド・ゴールは全権の委任と憲法の改正を要求する。この結果、第五共和制及びド・ゴール大統領が誕生する。1958年のことである。

 それから1968年の五月革命を経て、翌年に辞任するまで、ド・ゴールの「独裁」が続く。この本でも、ド・ゴールの専制的な振る舞いが描かれているけれども、通史から抱く「面倒くさい政治家」というイメージと異なり、そうでもしなければまとまらない、当時のフランスに置かれた状況を考えれば、無理もないものだったともとれる。文体が小説的であり、感情移入もしやすいからかもしれない。

 この本におけるド・ゴール像は、参考文献も近年の研究を多く利用しており、一般向けとしては高い水準にあるものといっていいだろう。ただし、戦後にフランスが模索した西ヨーロッパの秩序構想については、ド・ゴールの独壇場ではなく、戦前期からの外交や政治を多く継承したという相対的な見方もある。宮下雄一郎『フランス再興と国際秩序の構想』(勁草書房、2016年)などがそれで、学術書ながら第二次大戦期のド・ゴールを追いながら、その行動や決定基準が何より「フランスの安全保障をどれだけ盤石なものにするか」という視点であったことを明らかにしている。

 いずれにしても、20世紀前半のヨーロッパは、政党による政治の行き詰まりが目立ち、そこから「独裁」が選ばれることになる。ドイツのヒトラーとフランスのド・ゴールを同列に扱うのは躊躇するけれども、両者ともに政党による「決められない政治」に倦んだ有権者が選んだ点は共通する。
 強力な指導者という存在と民主主義の両立は困難というのが常識だけれども、少なくとも戦間期の政党政治は前者を欠いたがゆえに、混乱が続いた。しかるに、ヒトラーが破滅への道を歩み、ド・ゴールが曲がりなりにも現代フランスでも英雄とされる違いはどこにあったのか。民主制におけるリーダーシップを考察する上でも、面白いテーマのような気がする。

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