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2018年10月27日08:56

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上野の森美術館で「フェルメール展」をみて 



蝶人物見遊山記第292回

フェルメールの絵では、おおかた左側から光があたり、室内にいる女性の姿かたち、とりわけその風貌を印象的に浮かび上がらせる。

ドラクロアほど劇的ではないが、この光の存在が、なにげない日常を生きる、さして特徴のない人物の存在をひどく印象的な存在へと変化させ、当代のミロのヴィーナスのような、ある種普遍的な存在にまで高めてしまうのである。

絵の中で時間は静かに流れているようだが、流れていたミルクはいつのまにか止まってしまい、停止した時間と空間が、どこか永遠の相に彩られ、むかし聞いたことのある単純な音楽が、どこか遠方で鳴っているような錯覚にとらわれる。

「手紙を書く女」や「手紙を書く婦人と召使」、そして「牛乳を注ぐ女」の実物の前に心ゆくまで佇んでみて、私はあの「失われた時を求めて」の作家が、これらの珠玉のような名品を偏愛した理由が、遅まきながら初めて分かった。

幸いにも今回見ることができた8点、いずれも素晴らしいと讃えたいところだが、唯一の大画面で自由だがやや弛緩した描きぶりの「マルタとマリアの家のキリスト」は、もしかすると別人の作ではないだろうか。

   大いなる壺より流る白き滝果てなく落ちて音は聞こえず 蝶人
   Vermeerとはおらっちのことかとフェルメール言い 


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