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2018年10月09日09:58

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都美術館で没後50年記念「藤田嗣治展」をみて



蝶人物見遊山記第289回

藤田嗣治は、去年だかおととしに、竹橋でどっさり見物した余韻が、まだ頭のどこかに残っているので、「もういいや、パスしよう」、と思っていたのですが、「まいいか、ダメ押しのつもりで行ってみるか」、と最終日に駆けつけたのですが、行って良かった。1936年に彼が監督制作した8分27秒の35ミリ白黒映画「現代日本2子供編」をつぶさにみることができたからです。

これは軍の要請を受けた国際映画協会が日本文化の海外PRをするために、嗣治に発注した子供、女性、娯楽、都会、田園の5篇のうちの一つで、これしか残っていないそうです。

四国松山の城下町で繰り広げられる、子供たちのチャンバラや紙芝居、床屋での散髪、姉と弟の交流などは、さながら樋口一葉の小説か小津の児童映画の世界を地で行くような、いな、昭和10年当時のこの国の子供たちが、生き生きと躍動するさまを美しい影像に焼き付けたもので、この作品を「国辱的だ」と上映を禁じた陸軍の了見が分からないでもない、平和で長閑な珠玉の動画でした(前回の竹橋でも出品されていたそうだが見逃してしまった)。

それから何回目になるのか、物凄くまぢかで直視した「アッツ島玉砕」などの戦争画には、はじめて平静でいられたのですが、いつのまにか見慣れてしまったからだろうか?

戦争で帰国中に描かれた「魚河岸」や「秋田の娘」、「ちんどんや」「客人」などに寄せられる視線は、もはや日本人のものではなく、幕末明治に来日した画家ワーグマンやビゴーに似た西洋臭を感じ、藤田との懸隔を感じた私でしたが、「聖母子」「キリスト降誕」「マドンナ」など、藤田と愛妻君代も描き込まれた宗教画の世界を目前にして取りつくしまがないことを実感させられました。

いったい人は、どうしてカトリック信者になる/なれる、のでありましょうや。

  格下に取りこぼさない人だけをチャンピオンと人は呼ぶなり 蝶人

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