mixiユーザー(id:6806513)

2018年06月23日14:39

131 view

多和田葉子「百年の散歩」

「わたし」は女性だと思って読んでいると、最後の1編で男性だったとわかる。
あてもなく「あの人」を求めて街を彷徨っているのかと思ったら、あの人は自分の妻か恋人とわかる。

「何事もなかったように思える日のことも思い出すことが出来るだろうか。(例えば)とめてある自動車の下にもぐりこんだ猫と目が合ったとういう以外にはこれといった事件もなかった秋の日のことでも50年後に思い出すことが出来るのだろうか」
きっと、多和田はそれが「出来る」、いやむしろそのことが(誰が見ても印象的な出来事よりも)鮮明に思い出せるのだ、と知っているのではないか。

「子供は親のすべての表情、仕草、言葉を解釈出来ないままに記憶し、夜空のように肩に背負って歩いていく」
ならば、きっとミュウは僕のすべての表情、仕草、言葉を背負って、旅立ったのだろう。
それはミュウを永遠に温めるだろうか。
ミュウの表情、仕草、言葉がずっと僕を温めてくれるように。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する