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2018年04月19日08:37

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神奈川近代文学館で「生誕140年与謝野晶子特別展」をみて



蝶人物見遊山記 第278回


与謝野晶子(1878〜1942)という人は、堺の駿河屋という和菓子屋の3女として生まれたそうだ。父親は商売には不向きな文学青年だったので、母親を助けながら商売に勤しみ、その合間に父の蔵書であった源氏物語などの古典を盗み読みして教養を身につけたという。源氏などは音読していればだんだん真意に通じてくると後年いうておるようだが、これぞ夢のように理想的な正則的アプローチじゃのお。

文才、歌才。これは明らかに鉄幹によって手取り足取り磨き抜かれた。
鉄幹ときたら写真で見れば一目瞭然、眉目秀麗な長身のスマートボーイで、こんな才智が目から鼻に抜ける色男に惚れない女は、時代はまだ明治であるからなおさら、誰一人いなかっただろう。

そんなイケメンに袖にされた山川登美子は可哀想だったが、晶子は、はじめは処女の如く鉄幹に取り入り、しばらくすると脱兎の如く男を略奪し、最後は鳳凰の如く男を宙中にぶら下げて、文芸世界の空高く雄飛したのである。

晶子で驚くのは、その旺盛無比の生命力と生活力と創造力、だあな。

鉄幹が種を仕込んだ12人!!!の子供を、産んで、育てる(1名は生後間もなく死亡)かたわら、およそ5万首の歌を詠み、源氏物語を3回も注釈し、詩を作り、評論を書き、かてて加えて婦人&社会運動家として活躍しながら、63年の生涯を全速力で走り続けた。

特に凄いのは、妻の大活躍と裏腹に意気消沈した鉄幹を復活させるべく、不眠不休、獅子奮迅の奮闘努力で経費を工面して、夫を巴里に送り出したのみならず、自らも夫を追って長駆シベリア鉄道の旅を決行したことであって、小林天眠などの援助があったにせよ、なまなかにできることではない。(詳しくは森まゆみ著「女三人のシベリア鉄道」を参照のこと)

私は晶子の「みだれ髪」の「触れもせで」、や「こよひ逢ふひとみな美しき」、「 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に」、そして「君死にたもうことなかれ」の感動的な反戦詩(後に180度転向した!にもせよ)も好きだが、もっと好きなのは、鉄幹と再会した彼女が詠んだ「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」という燃えるような恋の歌である。

巴里を離れてフランスの田舎に遊び、遠くロンドン、ミュンヘンに遊んだり、2人は「明星」創刊の若き日に戻って、さながら生まれたばかりのアダムとイヴのように「第2の青春」「不滅の愛」を謳歌しているようだ。

また2人は巴里滞在中に授かったと思われる4男に、アウギュストという名をつけているが、それは彫刻家のオーギュスト・ロダンに会って感激したからだろう。

近代日本史上、男女を通じてこれほど巨大なクリエーターは滅多にいるものではない。
そんな偉大な文学者の軌跡を辿るにふさわしい膨大な作品、書画。展示品を周集大成した今回の展覧会であるが、意外なことに私がいちばん心に残った歌は、晶子ではなく夫の

  知りがたき事もおほかた知りつし今いまなにを見る大空を見る 鉄幹

という妙に現代的な述壊の歌であった。下4句、5句を音読していると、もしかすると鉄幹のほうが、太陽のように偉大な晶子よりも優れた歌詠みではなかったか、という思いがもたげてくるのである。

晶子の若き日のライバルであった山川登美子の遺品である、小さな小さな簪と櫛を一瞥し、この悲運の歌人の短すぎた薄幸の生涯に、一掬の涙を濺ぎながら、この貴重な展覧会場を立ち去ったわたくしであった。

 *なお本展は来る5月13日まで横浜中区の同館にて好評開催中。


  1%のセレブが世界の8割の富を独占しているそうだ 蝶人


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