自慢話とか内輪受け、尋常じゃないエピソード等がなく、好感が持てる。
人と会うこと、旅が苦手では無理だなと、いつしかジャーナリストを職業にする目標を捨てた者からみると、眩しい。
ま、それはそれとして、スクープでなく、ジャーナリズムが連帯して立ち向かうべき相手がいることを意識すべきだという結論は、とても共感する。
その連帯には、職業ジャーナリスト以外も入らねばならないのだ。
いや、それなしには立ち向かえないと言うべきだろう。
ところで、望月があとがきで引用したガンジーの言葉を同じく引用した記事を最近読んだことを思い出した。
「創」12月号だ。「あんなじゅぱす」というバンドの記事で、週刊金曜日の初代編集長、和多田進の講演でのことらしい。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
「このひどい世界に伝えるべき愛を忘れしまいそう」でも、
自分のために、「ひどい」ということは思い続けるべきなのだ。
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