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2017年05月07日21:41

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真宗の神祇不拝

 今年のゴールデンウィークも地元の神社でお祓いを受けてお神酒を飲み、お神輿を担いできた。私は真宗の僧侶だが、村の人間として自動的に氏子でもある。しかし、真宗には天神地祇を拝まない神祇不拝の教えがあり、それをどう受け止めるのか考えてみた。
 親鸞聖人は『親鸞聖人御消息』第四書簡で仏法を深く信じる人々を擁護する神々を侮ったり捨てたりしてはならないと戒められ、『浄土和讃』でも神が念仏を称える者を護ると詠じられた。覚如上人は『慕帰絵詞』巻七で玉津嶋社に参詣されて玉津嶋明神へ現世利益を願われ、実家の氏神を祀る春日社に参拝された。蓮如上人は神を軽んじてはならないと御文で再三に渡って説かれ、湯泉神社の女体権現に延命長寿を願われた。
 証如上人は神々を供養する天王寺の法楽連歌で発句を引き受けられ、石水八幡宮や伊勢神宮に寄付されて領国の加賀において神主の地位を安堵された。まとめれば前近代の真宗において神々は念仏者を守護したので、そのような存在に往生を願うことは批判されたが、現世利益の祈願については判断が分かれた。少なくとも神を軽んじてはならず、『親鸞伝絵』のように神社や神事と関わることも禁じられなかった。
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