時おり、見たところ何の理由もなく、突然自分という存在の流れを見失うことがあった。それはあたかも、君の体の中に棲む人間が偽物に変わってしまったような、もっと厳格に言えば誰でもない存在に変わってしまったような感覚であり、自分というものが体から滴り出ていくのを感じながら君は呆然と乖離状態で歩き回り・・・
周りの中で目に付く・・・狭量さ、愚かしさ、偽善・・・・その結果、自分が寛容でなくなって行くのが判る・・・・そうして、人に不愉快な思いをさせぬよう、人前から消える。他人に苛立っているのが感じられて自分が嫌になるが、どうしようも無い・・・・・
だが同時に、僕は愛したいし愛されたいと焦がれる。それが不可能だと知りつつ・・・・何か根本的な形で、僕は現実なるものから逃げてしまったのだ。
−以上引用−
好きな作家の内面は、やはり自分と似たところがあると確認出来、腑に落ちる。
小説を読む愉しみのひとつ。
ああ、こいつもオレと同じだ、と。
同志を求めて彼は書いた、あるいは、結果的に何人かの同志が出来た、いや、いることがわかっているからこそ、彼は書くのかもしれない。その全部だろう。
同志を求めて僕は読む、あるいは、結果的に同志が見つかった、いや、それがわかってるから読む。
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