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2016年11月24日09:31

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東京都美術館で「ゴッホとゴーギャン展」をみて

蝶人物見遊山記第222回


もう印象派なんかさんざんみたからどうでもいいけど、せっかく上野に来たんだからちょっと覗いてみるか、というようなノリで乗り込んだ都美術館でしたが、これが想定外に面白かった。何が? ゴッホ対ゴーギャンという2人の男の構図が。

アルルにやってきたゴッホは海でも山でも野原でも家の中でもでもじゃんじゃん書きまくる。此処を先途と命懸けで書きまくってる。それは出口なおの御筆先からほとばしる生気をまの当たりにしているようだ。出口王仁三郎のめくるめく色彩世界の陶器をみているようだ。

例えば1888年に描かれた「耕された畑(畝)」を見よ。これでもか、これでもかとキャンバスに荒々しく部厚く部厚く塗りたくられた油絵の具のうねりの中にゴッホのいまこの瞬間を生きるんだという赤裸の叫びを我われは見る。聞く。打たれる。

それはほとんど狂気にすれすれの異常な叫びで、実際に彼はこの直後に狂うのだが、それでも絵は異様なまでに純粋で美しい。

アルルのゴッホが、命懸けの生の極限を生きる、その姿がそのまま藝術に転化していたとすれば、すぐ傍にいたゴーギャンは迫りくる死に向かって日々衰弱していく己の絶望そのものが藝術だった。

ゴッホの「恋する人」は生の祭壇への生贄であり、ゴーギャンの「アルルの洗濯女」の背中には、すでに死霊が取り憑いている。この2人の天才の心身の奥深く喰い入った生と死は、背中合わせで共同生活しながら、陰陽2つの見事な花をアルルで咲かせていたのである。


    南仏のアルルの真昼に咲き誇る2本の向日葵生と死の花  蝶人

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