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2016年11月13日08:54

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池澤夏樹編河出版「日本文学全集29巻近現代詩歌」を読んで



照る日曇る日 第907回


詩を編者が、短歌を穂村弘が、俳句を小澤實がそれぞれ50の作品を選び、解説を加えながら明治から平成の前半までの詩歌を総括するという気宇壮大なアンソロジーである。

現代というても基本的には池澤の生まれた1945年以前に誕生した作家という年齢制限がついているので、最近の若手と超若手の口語短歌などは取られていないが、そんなものまで取りこんだら膨大になるうえに収拾がつかなくなるだろうから、まずはこのあたりでよろしいのではないでしょうか。

しかし詩篇については、島崎藤村から谷川俊太郎、高橋睦郎、入沢康夫までを入れておきながら「怪物君」の吉増剛造選手およびわが敬愛する鈴木志郎康氏を入れないのはどういう了見だか訳か分からない。おそらく池澤は、自分も含めてすでにこの世では死んでいる「化石詩人」を標本にするのが好きなのだろう。

私は俳句は苦手なのでパスさせてもらうが、やはり高濱虚子門より河東碧梧桐の流れを汲む人々の作品が好きだということが分かった。

さはさりながら、短歌編を担当した穂村選手の解説が素晴らしい。
ここでは正岡子規から三枝昂之までやはり50名の作品を5つづつ挙げているが、その中にわが敬愛する奥村晃作氏の以下の作品があったのでうれしかった。

 不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす

 撮影の少女は胸をきつく締め布から乳の一部はみ出る

 中年のハゲの男が立ち上がり大太鼓打つ体力で打つ

 転倒の瞬間ダメかと思ったが打つべき箇所を打って立ち上がる

 運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りて行くなり

氏の作品は、眼前の事物や物事をあるがままに対象化すると見えて、それがこの世の道理の新たな認識を促したり、この世ならぬ未知の世界への裂け目を示唆する哲学的象徴詩に転化する瞬間があって稀有な値打を持っているが、それが最後の歌などになると、あたかもエドワード・ホッパーの深沈な現代絵画を思わせて素晴らしい。


   我ながら拙しと思う歌なれど出来れば誰かに聞かせたいと思う 蝶人

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