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2016年10月30日09:43

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鎌倉芸術館で鎌倉交響楽団を聴く

音楽千夜一夜第375回& 蝶人物見遊山記第217回&鎌倉ちょっと不思議な物語第372回


曇天の午後、久しぶりに鎌響のマチネーを聴きました。曲目はいつもの私の大好きな天下の名曲、鎌倉市市歌に続いてチャイコフスキーのイタリア奇想曲、メンデルスゾーンの交響曲タリア、そしてグラズーノフの交響曲第5番というイタリアでつないだロシア物でした。

指揮は今井治人という長身で面長の若い人でしたが、最後のグラズーノフが良かった。初めて聴いたこの曲は、どことなくエルガーやラフマニノフに似ていて、抒情的な旋律を大河に溶かしこみ、ゆったり鳴らすところでは、ツルゲーネフの描いたロシアの山河が眼前に浮かんでくるようでした。

されど第4楽章では終曲だというので、管楽器、とくに大太鼓を野放図にガンガン叩かせていましたが、これはあまり良くない。
名コンマス五味俊哉に率いられた鎌響の美質である弦楽器の響きがことごとく抹殺され、ティンパニーの独り舞台になってしまうのは、作曲家が意図したことではないと思います。
その証拠にイタリア奇想曲のコーダでは、まるでサーカス小屋のジンタのようでした。

今井治人は、私の嫌いな小澤征爾(人にあらず、音楽ですよ)とそのこけおどしだけの猿面患者ではなく、大人の音楽をやるフェルデイナン・ライトナー、若杉弘、飯守泰次郎などの薫陶を親しく受けたようで、その悠揚せまらぬ曲の運びには好感が持てましたが、一方では強烈な音楽的主張、ここぞというときのピークの築き方が甘く、今後に大きな課題を残していると私には映りました。

後半はいつもの天井桟敷を降りてきて、あえて1階の最前列で聴いてみたのですが、ここでの弦の大洪水には驚かされました。

あの音の氾濫の真ん中で各パートの音程とアンサンブルを聴き取ることは、不可能に近い。そして時折その上空から急降下してくる管楽器の乱打、乱打、また乱打は、老いたる世捨て人の心身を陶酔させると同時に激しく撹乱します。

これでは指揮者もオーケストラの面々も、全員つんぼにならないほうがおかしい。よくも皆さん我慢して舞台に座っていられるものです。

そしてもうひとつはじめて分かったこと。それはこの大音響のただ中で浮遊酩酊しておれば、それがN響のごとき凡庸なオーケストラのつまらぬ演奏でも、それが終わるや否や、たたちに立ちあがって「ブラボー!」と叫び出す聴衆の気持ちでした。


  君知るや稀代の名曲大木敦夫作詞矢代秋夫作曲鎌倉市市歌 蝶人

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/qa/gyousei/documents/gakuhu.pdf


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