甲斐はボーカリストとしては復活したと思う。
あの「MYNAMEISKAI」を頂点として、再結成・シリドリ・ローリングサーカスレビュー・テンストあたりはひどかった。もうダメかなと思った。あとは作品を書くしかないのか、と。
理由はわからないが、2010年頃から、とにかくボーカリスト甲斐よしひろは復活した。
テンポが遅いとか、打ち込みとずれるとか不備があっても、復活した甲斐よしひろの、温度は高いが渇いた深い声は、多くを納得させる。いや、すべてを納得させる。
ほんとうによかった、と思う。
「唄える」ことが、たぶん、甲斐にとっては「作家としての」大前提だろうと思うからだ。
BIGGIGagainは、深みを増した声で、若い自分と今の自分の違いを提示してみせた。
とても質の高い、聴く価値が十分あるLiveだった。
しかし、こんなもんじゃないだろう。
甲斐が仕事として「こなしている」感じを僕は強くもった。そして、なぜか、甲斐バンドの最重要曲「観覧車」で、その感じが頂点に達した。
大きな不備はない。しかし、観覧車を唄う時の没入感がまったく感じられなかった。
だからこそ、一回引っ込まずに100$に入ったのではなかったか。
テレビ放送の都合などという「逃げ」はなしだ。もしそうなら、没入していない証左にしかなるまい。
そしてラストの「破れたハート」は、完全に観覧車の不完全燃焼を引き摺ってしまった。
終演後の打ち上げで、こういうことを言う人がいた。
【愛ろくツアーは、アポロシアターみたいなものを目指しているような気がする】
あの、まさに何かが降りてきたような「本牧アポロシアター」の緊張感は、2度と体験出来ていない。あれをいつもやりたいという野心を、甲斐は持っているのか。
今のボーカルの充実が、昔の再現ではなく、その方向に向かうことを期待する。
それには新たな普遍的な曲が必要だ。
そうだろう?
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