約5年間のメールのやりとりによるインタビュー。
佐藤正午という小説家(作家という言い方は佐藤にはそぐわない)は、佐世保に住み続けている。と言っても妻子のためではなく、東京に出てくる理由がないから、あるいは佐世保には競輪場があるから。
永遠の1/2から、多作ではないが寡作でもなく、流行作家では決してないが、生活に困るほど売れていなくもない。
是が非でも書かねばならないことなどあるのだろうか?
つまり「ない」と言っているに等しい。
これは「ほんとうに生きるに値する人生があるか?」とい問いに繋がる。
書かねばならなかろうが、どうでもよかろうが、自分の書いた文章にはこだわる。
職人的なこだわりではなく、気にならずにはいられないのだ。
つまり、生きるに値しようがしまいが、ただ生きる、でいいじゃないか。
これを読むと、きっと多くの小説好きは佐藤正午を好きになるに違いない。
マネージャーのような人が、「正午さんはそこに活字があると読まずにいられないんだ」と言うくだりがある。珍しくもない言い方だが、やっぱりな、と感じる。
佐藤正午の小説は、そういう人が書いたものだと、わかる。
「鳩の撃退法」で、ようやく「好きな小説家」として彼の名を挙げてもいいかな、と思った。
彼の味わいは、女子供にはわからない。
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