■養老孟司「文系の壁」2015年6月PHP新書
副題は、“理系の対話で人間社会をとらえ直す”。
マイミクさんは、うすうす感じられていると思われますが、私は実は、
「養老教徒」なんです。
私淑(=尊敬する人に直接教えを受けないがひそかに師と仰ぎ、慕い学ぶこと)
というレベルは超えて、教徒ではないかと、自己分析しています。
ベッドの横に、ナイトキャップの本を数冊置いていますが、内田樹さん
の本が一冊で、あとは養老本です。
何回も書いていますが、私の道楽読書のテーマのひとつが、人間とは
何か、人間社会とは何かという尽きせぬ興味関心で、養老本はそれに
まっすぐにヒットするのです、私にとっては。
だから、書店の店頭で、養老先生の本を見ると、つい手にとってしまい・・・
おっと、養老先生への思いを述べるのではなく、読書日記でしたね。(汗)
本書は、文系が意識しづらい領域を、四人の理系の知性と、養老先生が
語り合う、対談集です。
惹句を紹介。
“「理系は言葉ではなく、論理で通じ合う」「他者の認識を実体験する技術で
人間の認知は進化する」「細胞や脳のしくみから政治経済を考える」
「STAP細胞研究は生物学ではない」。”
“解剖学者養老孟司が、言葉、現実、社会、科学研究において、多くの文系
の意識外にあるような概念を理系の知性と語り合う。”
“工学博士で小説家の森博嗣、手軽にバーチャルリアリティーが体験できる
デバイスを考案した藤井直敬、「なめらかな社会とその敵」の著者・鈴木健、
大宅壮一ノンフクション賞を受賞した毎日新聞記者・須田桃子。”
“「前提」を揺さぶる思考を生む四つの論考。”
章立てと小見出しの抜粋も紹介。
第一章 理系と文系 ― 論理と言葉 (森博嗣×養老孟司)
・文系の方がデジタル
・行為の主体を明確にするヨーロッパ、空気で物事が進む日本
・英語の“I”は過剰の表現
第二章 他者の現実を実体験する技術で、人類の認知は進化する (藤井直敬×養老孟司)
・「前提を問う」ことこそが科学
・創造とは、脳の中で新しい組み合わせをつくること
・これまで「地上戦」だったのに、いきなり「空中戦」がはじまった研究者たち
第三章 「唯脳論」の先にある、なめらかな社会の可能性 (鈴木健×養老孟司)
・なぜ、社会科学の問題を細胞から論じるのか
・意識がなぜ生まれるのか
・日本語で思索すると仏教との親和性が生じてくる
第四章 ジャーナリズムか、生き物そのものを見るか (須田桃子×養老孟司)
・細胞は、誕生以来、その記憶が途切れたことはない
・STAP細胞に「感動」した笹井氏
・実験結果は、やった人の論理に従う
ねっ、刺激的でしょ!!
私は、根っからの文系人間だが、子どもの頃の科学少年の興味は尽きておらず、
こうして、大人になってからの道楽読書で、理系の知性の啓蒙書もたくさん読んで
いるのだが、切り口と論理の運び方が、理系の方が新鮮な気がしている。
なんだか、理系を持ち上げているようだが、最近文科省が発表した、国立大学
における、人文社会系の研究を縮小しようとする文脈からは、私も、この本の
養老先生をはじめとする対談者も、全く無関係であることを、ちょっと喧伝して
みたくもなっている。(笑)
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