この本の出版自体が非難されている。
もっともだ。
この手記に関して「表現の自由」を盾にする気はないし、何でもかんでも自由だと言う気はない。
ただ、「こんな人間には自分が何であるかを語る資格がない」という考えは違うと思う。
そもそも、それは「許可をもらうこと」ではないし、止められるものではない。
不特定多数に公表すべきではない。
そうかもしれない。
しかし、彼は「自分の内側に、自分の居場所を、自分の言葉で築き上げる以外に、もう僕には生きる術がなかった」ということを、誰かにわかって欲しかったのだ。
遺族が不快な思いをしている。むろん、そうだろう。
彼はそれでも、公表せずにいられなかった。
遺族に対する謝罪の心情とは別に、自分が壊れてゆかないために、これを書き、公表する必要があったのだ、それは壮絶な葛藤だっただろう。
読めばわかる。
自己弁護だと、黙殺するのは簡単だ。
しかし、少なくとも僕は、この手記を読んで、そんな一方的な感想は持てなかった。
ここまで自分の内面に分け入り、ここまで核心に迫ろうと必死になっている手記を、僕は他に知らない。
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