mixiユーザー(id:21379232)

2015年02月12日22:29

491 view

大戸千之『ヘレニズムとオリエント』

 大戸千之『ヘレニズムとオリエント 歴史のなかの文化変容』(ミネルヴァ書房、2013年)を読了。一九世紀に「ヘレニズム」の概念を生み出したドロイゼンは、軍隊付きの牧師の家 庭に生まれ、生涯敬虔なルター派のクリスチャンであってキリスト教の成立に強い関心を抱いた。ドロイゼンは古典期ギリシア文化からキリスト教文化へ移行する中間期(ヘレニズム時代)を研究し、ギリシア人の異教がユダヤ教だけではなく、オリエント諸宗教との接触も介してキリスト教の成立を準備したと捉えた。
 ヘレニズムの本質をギリシア的なものとオリエント的なものの融合と捉えたドロイゼンは、東西の混淆を重視する立場に執心したが、具体的な融合・混淆などを解明できなかった。ドロイゼン以後、ヘレニズム研究史はアレクサンドロス大王の死からプトレマイオス朝の滅亡に至る約三世紀間を基本的枠組みとすることで大方の了解が成立し、主要な動向としては「融合」論よりもギリシア文化優越論が力を得た。ギリシア文化優越論はヘレニズムの時代ついて後半はオリエント側の巻き返しが顕著となってくるとしつつ、前半においてはギリシア文化がオリエントに普及・拡大していった評価し、そちらを重視すべきと見る。
 ギリシア文化の伝統に立つことを自負する欧米人のヘレニズム観は、オリエント的な要素が入ることを衰退とし、オリエントはギリシア文化の精神を深いところで理解できないとされた。ヘレニズム研究の史料はギリシア語で書かれたものに片寄っており、ギリシア語史料で得られる情報も少なく、ギリシア人の主たる関心はほぼ一貫して地中海世界に向けられ、オリエントを変えたと見ることは難しい。ヘレニズムの時代はギリシア世界に大きな変化があったわけではなく、変化を迫られたのはオリエントの側で、オリエント人は自分たちの未来を切り開くためにギリシア化の問題を真剣に考えたが、欧米人の研究者はギリシア文化を受け入れる立場に身を置いて考える必要を覚えない。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する