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2015年01月25日09:19

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池澤夏樹訳「古事記」を読んで


照る日曇る日第754回

 今までの「古事記」は「臣安萬侶言す、夫れ混元既に凝り、氣象効あらず、名無く為す無し」のような表記でしたが、この本では「陛下の僕である安万侶が申し上げます。そもそもの初め、混沌の中に造化のきざしが見えながら、未だ気と形が分かれる前、万事に名がなく動きもありませんでした」のような読みやすくスマートなスタイルに変わっています。めでたし、めでたし。

 全体は3巻に分かれていて上巻では天地創生の神話、中巻では天と人間の物語、下巻は、人間による国家統治の物語というように、だんだん現世的な転移を遂げてゆくのですが、ではどこまでが神話で、どこからが実在の人物の実話なのかと問うてみると、明確な線を引くのはかなり難しい。

 下巻の最初に登場する仁徳、あるいは第21代の雄略天皇あたりから実記、それも非常に文学的な、が始まると言えるのでしょうか。

 イザナギとイザナミ、アマテラスとスサノヲの対立、サルタビコとアメノウズメ、ホデリとホヲリの釣り針の話、神武の兄イツセの死、ヤマトタケルの素晴らしい歌と非業の死、神功皇后の海外侵略、仁徳天皇がお召しを忘れた老女、兄を愛して果てた衣通郎女などなど、忘れがたい逸話が随所に転がっていて退屈しないのですが、どうにも不可解で興ざめなのはアマテラスによる出雲への天孫降臨です。

 ここには神話文学譚の薄絹を纏いながら、オオクニヌシがさんざん苦労して打樹てた葦原中国を問答無用で収奪したヤマト王権のゲバルト性が、馬鹿正直に記録されているのです。

 また「古事記」を子細に辿ってゆくと万世一系の系譜など嘘かまことか不分明になっている個所もたくさんあって、安万侶がそんなちっぽけな石に躓かなかったことが察せられます。

 おそらく彼は、神々の誕生と国生みのロマンを語り直す快楽に酔いしれていたのです。



    世の中のいっとうはじめの神と人を思いのままに描き出したり 蝶人

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