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2014年11月28日05:58

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読書日記No.780(横尾忠則というデーモン)

■横尾忠則「絵画の向こう側・ぼくの内側」2014年岩波現代全書

グラフィック・デザイナー・美術家としての横尾忠則は、多彩な分野で
活躍しているが、ここ数年、ちょっと意識し始めて、そのきっかけが、
瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」の肖像画だった。

日経新聞の日曜版に連載されて、その後、本としても刊行されたが
瀬戸内さんのアクの強い人物評に決して負けない横尾さんの人物
肖像画には、大げさにいえば、デーモンを感じてしまったのだ。

最近、「奇縁まんだら」は、文庫本にもなったが、瀬戸内さんの文章
だけで、横尾さんの絵が抜け落ちていたので、なんともフヌケた印象
をもったほど。

横尾忠則さんの本業を、きちんと追いかけたことはないが、キッチュな
ポスターを描く人とのイメージが強く、昔は、唐十郎や寺山修司のアングラ
劇団のポスターがいくつか記憶に残っている。

本業の方でも、多作な人だが、文章家としても多作で饒舌。

私は、ブキッシュな人間なので、横尾さんを近年意識したのが、瀬戸内
さんの本の挿絵というほどで、2年前に、じゃぁということで横尾さんの
本を手にとってみたら、これがまた、面白かった。

ということで、書店の店頭で本書の平積みをみて、迷わず手に取った次第。

本の惹句を紹介。

“絵画とは何か。描くとはどのような行為なのか。アトリエで、記憶の中から
人や物との出会いの瞬間−創造への道は開かれる。日常の中で問い続けた
独自の思索を集成する、横尾忠則現代美術への旅。”

岩波なんで、フレーズが生硬ですね。(笑)

著者からのメッセージも紹介。

“絵画には、まだ課題と可能性が豊かに残されている。それは未完に向かう
旅なのかもしれない。本書は、描くこと、創ることに関して、ぼくが生きて、
活動する中で発見したもののコラージュである。”

これも、岩波的で、無表情です。

あとがきの文章の方がいいので、こちらを引用。

“ぼくの書く言葉は座禅時に去来する雑念と同じで、浮かんでは消えるそんな
運命の言葉ばかりである。”

“ぼくの絵がそうで、絵の中から極力言葉を排除していく作業が僕の絵だ。
絵には言葉が邪魔である。絵には絵の言葉がある。その言葉にならない
言葉を形にするのが、ぼくの仕事だ。”

“だから、絵は言葉の対極にある。ぼくの絵を見てくれる場合も、言葉を動員
して、言葉を寄せ集めて頭で考えて見るのではなく、感性で、肉体で感じて
もらえばそれでいいのです。”

・・・美術展といえば、最近は、海外から日本に来る印象派の展覧会しか
足が向いていなかったが、

あ〜ぁ、横尾忠則の展覧会に行きたくなった♪
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