mixiユーザー(id:3341406)

2014年02月13日22:57

1264 view

「アバドをしのんで」 ルツェルン音楽祭2012

2/10のNHK-BS<プレミアムシアター>は、「指揮者クラウディオ・アバドをしのんで」と題し、彼の指揮による2つのコンサートのライヴ録画が放送された。

アバドは、つい先日1/20に亡くなったばかり。80歳だった。
2000年に胃がんの手術をしているから、死因はそれにまつわるものかと想像される。
2013年10月には、ルツェルン音楽祭管弦楽団を率いて来日公演が組まれていたが、結局中止となった。その時は「健康上の理由で」とのみ発表されたのだった。
代役も検討されたようだが、アバドとルツェルンの深い関係を考えると、彼の代わりをこなす指揮者はいなかったという事だろう。

アバドは世界の超一流オーケストラ及び歌劇場で指揮をし、音楽(芸術)監督を務めた。ミラノ・スカラ座,ロンドン交響楽団,ウィーン国立歌劇場,ベルリン・フィル、上げ出したら切りがない。
ルツェルン音楽祭管弦楽団は2003年から芸術監督の座にあった。

記念番組は前後半に分かれていて、前半が<ルツェルン音楽祭2012>より、後半が、1994年ベルリン・フィルを率いての日本公演(10/14サントリーホール)からだ。
後半の映像は61歳、まだ丸く若々しかったが、前半は2000年の胃がん手術の後だけに、大分痩せてみえる。79歳。

今日は前半のコンサートについてのみレポートする。

ルツェルン音楽祭は1938年に始まめられたもので、ザルツブルク,バイロイトと並んで世界の3大音楽祭の1つである。
放送されたのは、2012年8/10、ルツェルン文化会議センター・コンサートホールでの収録で、プログラムは以下の通り。

1)『エグモント』op.87 ベートーヴェン
2)「レクイエム」K.626 モーツァルト

1)は劇付随音楽で、ゲーテの同名戯曲に音楽を付けたもの。

オペラ迄完璧に音楽化しているものではない。劇の台詞の1部に音楽を付け、後は、序曲と幕間音楽とフィナーレ。
劇は今上演される事は殆どない。音楽も、この中で序曲だけがコンサートプログラムによく乗せられるが、当夜のようにコンサート形式で全曲演奏されるのはごく稀だ。
何故稀かというと、本来音楽なしの劇の部分が長く、全曲といっても、10の場の繋ぎ合わせなので、聴いていても物語は全く判らない。
楽器演奏のみの作品ならば、筋等関係なしに聴く事もできるが、この曲、リートの部分がある、つまり歌詞があるので、やっかいなのである。
最近は、工夫して語りを挟み、ソプラノ独唱と語りとオーケストラ演奏という変わったスタイルで全曲演奏するケースが出てきた。
今回もそれである。
その語りを、映画『ヒトラー〜最期の12日間』(2004)等で知られる名優ブルーノ・ガンツがやるというので話題になった。

メンバーは以下。

指揮 クラウディオ・アラウ
演奏 ルツェルン音楽祭管弦楽団
独唱 ユリアーネ・バンゼ(Sp)
語り ブルーノ・ガンツ

物語は、80年戦争〜オランダ独立戦争の時代で、実態は旧教新教の宗教戦争である。
神聖ローマ帝国ハプスブルク/スペインのフェリペ2世の圧政とそこから独立しようとするオランダ。オランダ側の実在の人物エフモント(エグモント)伯ラモラールの英雄的行為と処刑、彼の恋人の服毒自殺。しかし彼等の理想と信念は独立という形で実現する事になるのである。

処刑前のエグモントは、朦朧とした夢の中で彼女を想い、そして勇気付けられて断頭台に向かい、仲間達を鼓舞する。
次第に高揚するガンツの声は、ついついヒトラーの演説のように聞こえてしまうのが、笑い話のようで申し訳ない。

初演は1810年のブルク劇場、ウィーンはその時ナポレオン軍の下にあった。
ベートーヴェンは、オランダとウィーンを重ねているのである。


2)は誰もが知っているモーツァルト最後の作品「レクイエム」。

モーツァルトは曲を完成させる事ができず、弟子のジュスマイヤーに託したのは有名な話。
いろんな伝説的エピソードが絡んでいるが、ともかく彼が未完部分を補筆し、現在の形で演奏されるようになった。
名曲であるのは間違いないが、ジュスマイヤーの補筆部分には、いろんな評価がある。
それを不満に感じた後世の研究者や音楽家が、それぞれ修正や更なる補筆をし、○○版と言われるものがいくつも生まれた。
それぞれにはそれなりの主張があるが、それをここで持ち出すのは止めにしておく。

今回の判は「バイヤー&レヴィン校訂版」となっている。
ジュスマイヤー版しか聴いた事のない方は、後半でおやっと思う箇所があるに違いない。
モーツァルトは少なくとも「涙の日」の途中迄は自分で書いているので、後半に多く○○版それぞれの主張があるのである。
フランツ・バイヤー版(1971)は、基本的な構成はジュスマイヤー版を尊重している。ロバート・レヴィン版(1991)はもっと大胆だが、そこからは「サンクトゥス」だけを利用している。折衷的な処理と言えるが、アバドはアバドなりに考えを持っているのだろう。

指揮とオーケストラ以外のメンバーだけ書くと、

合唱 バイエルン放送合唱団,スウェーデン放送合唱団
独唱 アンナ・プロハスカ(Sp),サラ・ミンガルド(Al),マキシミリアン・シュミット(Tn),ルネ・パーペ(Bs)

素晴らしいソリスト陣である。
絶妙のアンサンブルが聞こえる。

「レクイエム」全てが終わった後、アバドはしばらく指揮棒を持ったまま客席を振り向かない。
それは祈りを捧げているようにも見え、痩せた背中は如何にも小さくなったように感じられた。
モーツァルトがこの曲を書きながら自分の死を身近に感じていたように、アバドも死を近しく感じ取っていたのかもしれない。
そんな静寂だった。

客席には、長く交友関係を築いてきたピアニストのマウリツィオ・ポリーニがいた。
オーケストラでは、ザビーネ・マイヤーがクラリネット(及びバセット・ホルン)を吹いていた。
アバドを愛する人達が、たくさんここに詰め駆けていたのだろう。
 
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年02月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
232425262728