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2013年12月15日21:15

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【散策】 浦安散策

浦安といえば、ほとんどの人が最初に思い浮かべるのはディズニーランドやディズニーシーであろう。また、東京に近い交通便利なベッドタウンであり、京葉線沿線には高層マンションが並んでいる。しかし、浦安はもともとは小さな漁師町だった。東西線の駅が出来るまでは交通不便な町で、そこには独特の文化が根付いていた。山本周五郎の『青べか物語』のような、狡猾さ、愉快さ、質朴さを持った猥雑な住人たちの生活が繰り広げられていたのであろう。その『青べか物語』の面影をたどって、浦安の町を歩いてみることにした。

久しぶりに東西線に乗って浦安駅で降りた。旧江戸川を越えて千葉県に入った最初の駅である。駅周辺はありふれた郊外の駅前風景だが、東西線の高架線路に沿って川の方に行ってみると、まずは渡し場跡がある。浦安橋が掛かる前までは、渡し舟は東京へ向かう重要な交通機関だったのだ。東西線の高架下周辺が、まさに『青べか物語』の舞台である。「蒸気河岸の先生」の呼び名の由来となった蒸気河岸もすぐ近くにある。ここは蒸気船「通運丸」の発着場があったことから「蒸気河岸」と呼ばれた訳だが、今もなんとなく雰囲気が感じられる。

蒸気河岸にある船宿「吉野屋」は、『青べか物語』では船宿「千本」として登場する。もちろん当時の姿そのままではないにしても、『青べか物語』に登場する店で、数少ない(唯一の?)現在も営業を続けている店である。山本周五郎自身がモデルである「蒸気河岸の先生」の住んでいた所もこのあたりだが、今は普通の住宅地になっている。「根戸川亭」らしき店も見当たらない。「ごったくや」らしきものもない。おそらく東西線の高架下あたりにあったのだろう。境川の向こうも今は石灰工場はない。男女とも髪も眉毛も剃り、裸で全身白い粉まみれな工場労働者(「白い人たち」)の光景とはかけ離れた、普通の住宅地だ。少し川を眺める。「人は何によって生くるか」などと考えながら。

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(浦安駅)

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(浦安渡し場跡)

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(蒸気河岸)

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(船宿「吉野屋」)

このあとは境川に沿って歩いてみる。猫実、堀江という『青べか物語』の中心となる町の間を流れる川だ。見ていると今にもべか舟を漕いで現れそうだが、残念ながらそのようなことはない。「おめえ舟買わねえか」といきなり会った老人に言われることもなさそうだ。しばらく境川に沿って歩くと、浦安町役場跡地に出る。ここに隣接して大松がある。「蒸気河岸の先生」が老人からとうとう青べかを買わされることになる「三本松」がまさにここである。「三本松といっても樹齢の古い松ノ木が一本しかない」のである。

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(境川の風景)

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(町役場跡の大松)

この大松の近くに清瀧神社があるのでお詣りする。地元の氏神様である。ここからさらに進むと堀江フラワー通りに出る。当時の町の中心である商店街で、『青べか物語』にもいくつか店が登場する。もちろん現在営業している店はなさそうだ。旧宇田川家にお邪魔する。明治2年に建てられた商家で、当時のまま残っているのである。風格のある家で、浦安市の有形文化財となっている。中に入ると案内の女性の方がいらして、中の様子を詳しく見せてくれた。釘を1本も使っていないので、釘の錆から劣化することもないそうだ。2階には使用人の部屋があり、急な階段を登って見られる。見学している途中、もう一人年配の男性が見学に来た。新浦安の方から来て浦安方面に散策しながら来ているそうで、ちょうど自分と逆コースになる。宇田川家の人から手書きの散策マップをもらい、もう一人の客と情報交換(?)しつつ宇田川家を出て、それぞれ逆方向に歩き始めた。

次に訪れたのは旧大塚家だ。漁師の家で、年代は宇田川家より古く江戸時代に建てられたものだという。千葉県有形文化財に指定されている。こちらも案内の女性がいて、詳しく説明を聞きながら中を見せていただく。主に海苔を扱っていたようで、海苔を干す網などもここで作っていたという。神棚と仏壇が一緒に設けられているのがこの時代の家の特徴で、明治以降はそのようなことはしなくなっている。洪水に備えて2階に家財道具をしまえるようになっているのも特徴で、普段は2階は使用しないため階段もなく、必要な時に梯子で登るようになっている。

大塚家を出てさらに堀江フラワー通りを歩く。浦安の古い建物として、浜野医院もその建物が残っている。現在ここでは診療は行っていない。そろそろ正午近いので昼食にしようと思うが、ちょうど天ぷら屋が目についたのでここに入る。『青べか物語』でも、「天鉄」という天ぷら屋が登場するが、確かにこの通り沿いにあったはずなのである。店の名前も「九重」で「天鉄」とは別の店だが、雰囲気を味わうことが出来る。広くない店内には先客が2組4人いた。店の主人もなんとなく雰囲気のある人で、『青べか物語』の世界に、気分だけでも浸る。値段も安いとは言えないが、土日限定のランチは1500円で食べられるのでお得だ。天ぷらは美味しかった。先客が帰り1人だけになると、「もう一品サービスします」と付けてくれた。「他のお客さんがいると足りなくなるので、さっきは出さなかったけど」などと、なんだか得をした気分である。こんなちょっとしたことでも、この店が気に入ってしまった。

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(清瀧神社)

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(旧宇田川家)

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(旧大塚家)

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(天ぷら「九重」)

境川を境橋で渡る。このあたりは「おっぱらみ」というそうだ。境川で最も川幅の狭いところである。隣りの行徳では塩を作っていたが、川の水が流れると塩が薄くなるというので、このあたりを土砂で埋めてしまったそうだ。浦安の人にとっては海へ出る川がふさがれるのは困るので土砂を取り除いた。再び行徳の人が埋めに来たが、町をあげて追っ払ったため、このあたりを「おっぱらみ」というようになったという。境橋を渡るとすぐに豊受神社がある。名前から明らかなように、食事を司る豊受姫大神を祀っており、保元2年(1157年)に創建された浦安で最も古い神社である。明海・入船・海楽・北栄・猫実・日の出・美浜地域(境川の北側)の氏神様で、衣食住の神様であるという。ここにもお詣りする。

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(境橋と「おっぱらみ」)

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(豊受神社)

『青べか物語』の世界はここまでである。大三角線と呼ばれる大通りをすぎると、さらに境川沿いに歩けるものの、そこは現在の浦安市の風景である。しかし最後にもう1箇所だけ訪れておきたいところがある。市役所に隣接している浦安市郷土博物館だ。実は、この中にこそ『青べか物語』にあるような昔の浦安が再現されているのである。立派な博物館なのに無料なのもうれしい。館内は漁業や舟に関する展示があり十分に見応えがあるが、やはりここは屋外の展示場が主である。打瀬船やべか舟が繋留された川を渡ると、船宿、たばこ屋、漁師の家、海苔製造所が並び、その向こうには豆腐屋、魚屋、三軒長屋に天ぷら屋、この天ぷら屋がまさに「天鉄」を移設再現したものなのだ。その向こうは風呂屋と寿司屋。たばこ屋、漁師の家、魚屋、三軒長屋は県や市の文化財になっている。それらを移設して集めたもので、浦安散策の最後に、『青べか物語』の世界そのものを眺めることが出来たのである。

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(浦安市郷土博物館)

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(博物館内の打瀬船)

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(べか舟と浦安の町)

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(天ぷら「天鉄」)

郷土博物館を出て新浦安駅に向かう、駅の周辺には高層マンションが建ち並び、東西線浦安駅付近とは全く別の町のようである。京葉線に乗って東京に帰った。
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