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2026年07月12日21:02

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「ある華族の昭和史」

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先日行った駒場の旧前田侯爵邸、そこの長女として生まれた酒井美意子の著書を読んでみました。
加賀百万石の大名16代目前田利為侯爵の長女、1926年(大正15年)生まれ。
父は駐英大使館附武官であったため幼少期をロンドンで過ごし、帰国して女子学習院で昭和天皇の第一皇女・照宮成子内親王と親しくなる。
20歳の時、従弟の酒井忠元氏と結婚、戦後は酒井家の一部にナイトクラブを開き、その後マナー評論家、ハクビ総合学院学長などとして活躍する。

その華やかな一生が、生き生きと描かれています。
136人の従業員がいたという、駒場の前田邸でのきらびやかな生活。
しかしこの本によると、著者は少女の頃から何処か冷めていて、”一番可愛いのは自分”と豪語して憚らない。
例えばその頃大騒ぎになった、王位を捨てた英国のエドワード8世について
”当時の大英帝国は七つの海に君臨する日の沈まぬ国であったから、その国王の座を恋愛と引き換えに放棄することなど、到底理解できるものではなかったのだ。
「随分軽率な国王ね。日本の皇室では絶対に考えられないことだわ」と成子内親王もきっぱりと言われた。
「結婚なんて誰としたって大差ないでしょうに。どうしてそんなにムキになるのでしょう」恋愛と結婚は別な物として考えることを、私達は物心つく頃から、ごく自然のこととして分かっていたのであった”

そして、やはり華族であり、一番条件のよい従弟の酒井忠元と結婚。
戦後、特権を剥奪された彼らがどんなに苦難の道を歩いたかを我々は知りたい所ですが、この本によれば、酒井の小石川の豪邸も占領軍に接収されたものの、その一部に引き続き住み続けている。
そして実家の前田家も、その軽井沢や鎌倉の別荘も接収されたそうですが、高輪の別邸の一部に家族は住み続けていたのだと。
そして酒井家のアトリエに、著者は「フェニックス」というナイトクラブを開き、高級クラブとして成功するのです。

酒井家の館の三分の二を占領したクランシー少尉を手玉に取ったこと等、どこまで本当かと思う部分もありますが、強い意志を持ち、自らの道を切り開いた女性であったこことは間違いないようです。

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