最近読んだ本の備忘的メモ。
●「ブラームスの思い出」 (音楽之友社)
(ディートリヒ、ヘンシェル、クララ・シューマンの弟子たち著/天崎浩二編訳、関根祐子共訳)
好きなクラシック音楽の作曲家というと、ブラームスを第一に挙げるのはずっと変わらない。そんな訳で久しぶりにブラームスの本。若い頃のブラームスを主に手紙のやりとりからまとめたディートリヒ、壮年期のブラームスをやはり手紙を中心にまとめたヘンシェル、そしてクララ・シューマンの不在中に「代役」としてピアノを教えたフローレンス・メイの他、アデリーナ・デ・ララ、ファニー・デイヴィス、イローナ・アイベンシュッツが、それぞれ老年期のブラームスの思い出を綴る。訳者によれば、ディートリヒのは時系列など曖昧な箇所も多いそうだが、直接ブラームスと接点のあった人たちによるものだけに、生々しい話もあったりして面白い。
●「中華料理と日本人」 (岩間一弘著、中公新書)
中華料理は完全に日本に定着しているが、もちろん中国のものとは違っていて、いろいろと変遷を経て日本式になったものである。そんな中華料理がどのように伝わり、どのように広まっていったのかを、肉まん、ジンギスカン、餃子、ウーロン茶、シュウマイ・ラーメン・四川料理と章を分けて解説した本である。その歴史は帝国主義の時代に始まり、満州からの引揚者の記憶、台湾文化の吸収などを経て、戦後の日本人の心と体を癒す料理へとなっていくのである。
●「浮遊霊ブラジル」 (津村記久子著、文春文庫)
標題作品を含めて計7編を収める短編小説集。独特の感覚のユーモアに満ちた話である。想像を超えた世界の話のようでいて、なんとなく「日常」も感じてしまう不思議な感覚だ。定年を迎えた男が故郷に帰る「給水塔と亀」はまだ普通(?)だが、物語を消費しすぎ地獄に落ちた女性幽霊の目線の「地獄」には、なんとも人間くさい鬼が登場したり、楽しみにしていた旅行の直前に亡くなってしまい、幽霊になって現生の人間に乗り移って念願だった旅行を目指す「浮遊霊ブラジル」、どんな場所でも現地の人ではないのに必ず道を聞かれる人の話の「運命」など、物語はあちこちに自由に飛んでいくのである。
●「月まで三キロ」 (伊与原新著、新潮文庫)
標題作品を含めて計7編を収める短編小説集。タイトルを見て、浜松市天竜区にある有名な道路案内標識が思い浮かんだが、まさにそれがキーになる話であった。浜松でたまたま乗ったタクシーの運転手は何かを察し、「それなら月に一番近いところへ案内しよう」となる。車中でタクシー運転手が語る月の話が詳し過ぎるので不思議に思うと、実はタクシー運転手はかつて高校の地学教師をしていたことが分かる。そして彼も悲しい過去を抱えていたのだった。やがて月に導かれるように二人は変わろうとするのである。他の話もこの作家の作品らしく「理系要素」が必ず含まれていて、いずれも何かに躓いた人間が新たな光を見つけるような話である。巻末の参考文献に大学や研究機関の論文なども記載されており、科学的部分は正しく書こうとするのはさすが理系作家である。
●「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 (三宅香帆著、集英社新書)
この本のタイトルを見て、「そんなことないよ」と思っていた。バリバリ働いている時もコンスタントに読書はしていたし、定年退職した現在もそれは変わらない。そこで、一体どんなことが書いてあるのかと手に取って読んでみた。ざっくり言えば、時代とともに人々の仕事や読書に対する考え方の変遷を、当時の社会背景を踏まえて考察した本といえようか。明治から大正にかけては、青年たちが目指すものは立身出世であり、修養が読書の目的であった。昭和になるとサラリーマンという新中産階級が生まれ、書籍は大衆娯楽となっていった。さらに高度成長期になるとテレビと連動した本がベストセラーになったりする。バブル崩壊後は情報社会の到来で、自己啓発本が売れるようになった。そして、今や必要なのは「情報」であって「知識」ではないという風潮になり、自分に関係ないものはノイズであるという考え方が出てくる。大体そんな内容である。私はそういうのには関係なく、読みたい本を読み続けているが...
そんな訳で、「最近読んだ本備忘禄」と題して、ほぼ月1回ペースで書いてきたが、読書好きの人が周りに実質いなくなったこともあり、本を読まない人は他人の読んだ本にも興味ないと思うので、読書記録をここに書くのはこれまでにするかもしれない。読書は続ける予定だが。
ログインしてコメントを確認・投稿する