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2026年04月18日21:01

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「翠雨の人」凄い女性がいた!

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猿橋勝子という、有名な科学者の名前は知っていました。
その名前を取った「猿橋賞」という、女性科学者を表彰する賞があることも。
でも一体どういう人なのか、何をしたのかはまるで知らず、伊予原新の直木賞受賞後第一作の、この人にまつわる本を読んでみました。

1920年東京生まれ、女学校を出たら嫁に行くのが女性の幸せとされていた昭和初期、電気技師である父親を説得して帝国女子理学専門学校に進む。
その際、本当は東京女子医専(今の東京女子医大)に進むつもりであったが、そこの面接で、憧れの創設者吉岡彌生に酷いことを言われてショックを受け、女子医専合格を蹴ったというのが面白い。
そこで地球化学の道に進んだというのですから、人生分からないものですね。

卒業後、中央気象台研究部(今の気象庁気象研究所)で三宅泰雄の指導を受けながら、ひたすら研究の道を進む。
1954年のビキニ事件におけるいわゆる「死の灰」による大気・海洋汚染に注目し、三宅と大気及び海洋の放射能汚染の調査研究を行う。

放射能汚染について1960年、カリフォルニア大学海洋研究所のフォルサム博士は、南カリフォルニアの海水中のセシウム137の濃度をネイチャー誌に発表したが、それは三宅・猿橋が発表した数値よりも、10〜50分の1の低さだったという。そこで三宅はアメリカ原子力委員会に同一の海水を用いた日米の相互検定を申し入れ、1962年〜1963年の間、猿橋はスクリップス海洋研究所に招聘され、フォルサムと微量放射性物質に対する分析測定法の精度を競うこととなった。

その時の状況が酷いのです。
勝子が案内された「実験室」は、立派なフォルサム博士のオフィスから離れた海辺にある、古い木造の掘っ立て小屋。
ろくに道具も揃ってないそこで、勝子は孤独に黙々と調査を行い、1年後に出た測定値は、フォルサムの二ファー法の回収率82.5%、勝子のAMP法90.7%。
見事に勝利したのでした。
その研究成果は、1963年の部分的核実験禁止条約成立に繋がったのだそうです。

勝子はその後、1980年に女性で初めて日本学術会議会員に選ばれたり、東邦大学理事・客員教授を歴任したりと活躍します。
独身を貫き、晩年は認知症となって施設に入り、2007年87歳で逝去されたと。
「翠雨」は、木々の青葉に降る雨をさし、「雨はなぜ降るのだろう」と少女時代に雨の原理に素朴な疑問を抱いた勝子のことを表しているようです。

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