「大山街道」とは、江戸赤坂御門を起点として、伊勢原にある大山阿夫利神社に至る道である。東海道と甲州街道の間を行く脇往還(バイパス)として、「厚木街道」や「矢倉沢往還」とも呼ばれてきた。江戸時代中期は庶民の間で「大山詣り」が流行となり、この道を利用することから「大山街道」と呼ばれるようになった。江戸後期には秦野のタバコ、真鶴や伊豆の椎茸、干魚、駿河の茶などを江戸に運ぶ輸送路として利用され、これらを扱う商人たちでにぎわった。
現在は国道246号線がほぼこの大山街道に沿う形で整備されている。往年の面影を残すところはほとんどないが、川崎市内の二子橋から溝口に至るところは面影をたどることが出来る場所となっている。今日はここをゆっくり歩いてみようと思う。渋谷での所用の帰り道、田園都市線が二子玉川に着いた瞬間に思い立った気まぐれ散策である。
二子玉川駅周辺も再開発が進み、以前とはかなり変貌している。昨年12月に久しぶりに降りて驚いたが、今日は駅周辺には用事はなく、真っ直ぐに二子橋を目指す。田園都市線に沿って多摩川に架かっている二子橋を渡ると川崎市内だ。かつては渡し舟で多摩川を渡っていて、二子の渡し場入口の跡がある。最初は二子神社に行くことにした。神社には大山燈籠があるが、ここで目立つのはやはり岡本かの子文学碑だ。予想した文学碑とは全く異なるオブジェが建っていて、最初はこれが文学碑だとは思わなかった。岡本かの子の子である岡本太郎の作によるもので、言われてみれば納得である。
大山街道をさらに進むと、二子二丁目公園という小さな公園がある。なんということもなく見過ごしてしまうような公園だが、ここが岡本かの子の生家があった場所で、「大貫家跡地」として礎石だけが残っている。この大貫家跡地の向かいにあるのが光明寺だ。アジサイが咲いていてきれいである。
さらに街道を進むと、何やら大きな釜が置いてあるのが見える。これは飯島商店所有の大釜で、店自体は閉まっているが、宣伝用に作られたという大釜が目立っている。この釜はNHK大河ドラマ「黄金の日々」でも使用されたらしい。少し進むと溝口緑地が右側にある。小さな公園で敷地内に図書館もあるが、他に国木田独歩の碑もある。独歩が溝口の「亀屋」に宿泊した時に、この宿の主人のことを「忘れえぬ人々」の中に書いたという縁があるのだ。
再び街道を進むと古い面影を残す商店がいくつかある。現在そのままの建物を使って営業しているのではなさそうだが、明治44年に造られたという「タナカヤ呉服店」は堂々の蔵造りだ。府中街道と交わる高津交差点を過ぎると、「灰吹屋」がある。建物自体は新しくなっているが、江戸時代からの商店で、「灰吹屋の生薬は良く効く」と評判になった薬屋だという。
少し行くと「大山街道ふるさと館」があり、ここで大山街道の歴史のおさらいをする。無料の展示館なのに他に誰も客がいないのが寂しいが、ゆっくりと見ることが出来た。二ヶ領用水を大石橋で渡ると、「稲毛屋金物店」だ。これも蔵造りの店である。
最後に溝口神社に詣でて、本日の大山街道歩きを終えることにした。自宅から近くにありながらゆっくり歩いてみたのは今日が初めてであり、改めていろいろな発見があった。
(二子神社と大山燈籠)
(岡本かの子文学碑)
(二子二丁目公園(大貫家跡地))
(光明寺とアジサイ)
(飯島商店の大釜)
(溝口緑地の国木田独歩碑)
(タナカヤ呉服店)
(高津交差点)
(灰吹屋)
(大山街道ふるさと館)
(大石橋と稲毛屋金物店)
(溝口神社)
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