流鉄流山線は松戸市の馬橋駅から流山市の流山駅までの全長5.7km、両端を含めて全6駅の小さな私鉄だ。3年前に「総武流山電鉄」という、やや大仰な社名から「流鉄」と改名したが、その長閑な雰囲気は変わっていないだろう。そこで、久しぶりにぶらりと流鉄沿線に出かけることにした。
登戸から、ちょうどやって来た「多摩急行」に揺られて70分で馬橋に着いた。馬橋発10:00の流山行きから今日のぶらり旅を始めよう。隣りの常磐線のホームからおりて流鉄のホームに行くと、そこはすでに長閑なローカル私鉄の雰囲気が漂っている。やや時代に取り残されたような感じの駅だ。PASMO等のICカードにも対応していないため、都度乗車券を購入することになる。最初は小金城趾駅を目指すことにした。元西武の車両の2両編成だ。黄色い車両で「なの花」の愛称が付いている。馬橋を出た時はガラガラだったが、次の幸谷はJR新松戸駅の目の前で、ここから乗ってくる人の方がも多い。常磐線の線路と離れると次は小金城趾だ。まずはここで下車する。
(馬橋に停車中の流鉄「なの花」号)
小金城趾駅の改札を出ると、駅構内にある店舗も閉鎖されており、なんだか廃止された駅のようである。駅を降りてもごく普通の近郊住宅地なのだが、折角ここに来たのだから、駅名の由来となった小金城趾を訪れようと思う。小金城趾は大谷口歴史公園の中にある。駅から徒歩10分ほどだ。城趾と言っても城が残っている訳ではない。小高い丘の上に土塁や堀の跡があるだけである。小金城は、かつて下総の国を支配していた千葉氏の支族の一つの高城氏によるもので、小金付近に広大な敷地があったという。大谷口歴史公園はそのごく一部で、残りは今は住宅地になってしまっている。自然の地形を生かした堀が複雑に入り組んでいるのが特徴で、障子堀、畝堀の痕跡が公園内にある。丘の上には土塁が見て取れる。誰もいない静かな公園を巡ったあと、駅に戻る。
(大谷口歴史公園の案内板)
(小金城趾の土塁)
(小金城趾の「障子堀」)
(小金城趾の「畝堀」)
小金城趾から再び黄色い「なの花」号で、次は平和台に向かうことにする。小金城趾から2つ目だ。平和台駅は流山市の中心に近く、駅前のイトーヨーカドーやK'sデンキをはじめとする大型店がいくつかある、賑やかな商店街である。これだけならあまり面白くないが、流山は実は見所がたくさんあるのである。江戸川の方に向けて歩くと、一茶双樹庵の看板が目に付いた。小林一茶は流山には50回以上も訪問したと言われており、流山の俳人秋元双樹との交友もあり、いわば北総地区は「第2のふるさと」とも言えるようだ。秋元双樹の家はみりん工場であり、その場所がこの一茶双樹記念館である。入場料は100円とあるが、「無料でいいですよ」と言われて、そのまま中に入ると静かな和室がある。やはり日本人にはこういう部屋が落ち着くのである。何もしないでしばらく座っていて、庭の枯れ池や句碑を眺める。句碑には一茶の、
夕月や流残りのきりぎりす
の句が刻まれている。
一茶双樹庵を出て細い道を歩いていくと、流山キッコーマンの工場がある。「万上みりん」の発祥の地だ。流山のみりんは甘口で、下戸な人や女性にも好まれ、流山といえばみりんと言われるまでになっていったのである。少し歩いて流山駅の方に向きを変えると、間もなく見えてくるのが近藤勇陣屋跡(長岡屋)である。ここが近藤勇と土方歳三との離別の地である。ちょうどボランティアのガイド(?)の方がいらして、いろいろと説明を聞いた。昭和50年頃までは流山が新撰組に縁があることはほとんど知られていず、そのあといろいろと文書が見つかって様々な「発見」があったという。最初は流山には1ケ月近くいたと思われていたが、実際は1泊2日、慶応4年4月2日に来て4月3日には旅立ってしまったのである。土方を逃し、近藤は板橋に、である。町のあちこちに漫画風の新撰組キャラクターの幟があり、流山としては観光の目玉の一つと言えそうだ。
(一茶双樹記念館)
(一茶庵)
(一茶の句碑)
(近藤勇本陣跡(長岡屋))
少し歩くと流山駅だが、ここを通り過ぎて流山市立博物館へ行くことにした。この博物館は「県庁跡」に建てられている。流山は明治初期に葛飾県(その後印旛県に拡大)の県庁があったのである。すぐに千葉県に統合されてしまったが、こんなところが県庁とは意外な感じがして面白い。市立博物館は図書館と併設で、入館は無料である。無料ではあるが展示は充実している。新撰組の他、白みりんの発祥の地関連の展示、加地区から発掘された古代遺跡や、先ほど見た一茶ゆかりの展示、小金牧の暮らしの移り変わり、流山線を中心とする鉄道敷設関連の展示など、十分に楽しめる。ゆっくり見て回り外に出ると、正午を過ぎていたので、流山駅近くに戻り「甲子屋」というトンカツ屋で昼食とした。
(流山市立博物館)
流山駅に戻り13:35発の「なの花」号に乗車する。今日は黄色い「なの花」号と青い「青空」号が交互に走っているようだが、なぜか「なの花」号にばかりあたっている。次は今日まだ降りていない鰭ヶ崎駅まで行くことにした。流山から2つ目だ。鰭ヶ崎駅周辺は特に何もない普通の住宅地かと思って歩いていたら、面白いものを発見した。鰭ヶ崎三本松古墳という前方後円墳があるのである。目立たない案内板に従って狭い山道(?)を歩いていくと確かにあったが、どこが前方後円墳なのか今一つ判然としない。しかし、そこにあるという三本松稲荷と下総國鰭崎邨古家碑は分かった。三本松古墳は6世紀頃の古墳ということだが詳しいことは分からない。
(鰭ヶ崎三本松古墳の稲荷と古家碑)
鰭ヶ崎駅に戻り、再び「なの花」号で2つ目の幸谷駅まで戻る。これで今日全ての駅に寄ったことになる。幸谷駅は新松戸駅の目の前で、馬橋よりもここでJRに乗り換える人が多いようだ。幸谷駅前は流鉄の他の駅前とは雰囲気が違い、JRの駅前らしい賑やかさである。常磐線のホームに行くとタイミングよく唐木田行きが来たので、このまま登戸まで乗って帰った。
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