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2025年08月14日20:57

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「空を駆ける」若松賤子の一生

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子どもの頃、小学館の「少年少女世界文学全集50巻」というものを舐めるように読んで育ちました。
その中でも好きだった巻の一つが、バーネットの「小公子・小公女・秘密の花園」が入ったアメリカ編。
それらを日本で最初に訳したのが「若松賤子」であるということは知っていましたが、どんな人であったかはまるで知らず。
明治の初期に英語の児童文学を翻訳したのだから、いずれ良家の子女であったのだろうと思っていました。
最近、彼女の生涯を書いた本があると新聞で知って、読んでみました。

本名は松川甲子(かし)、1864年(元治元年)会津藩士の長女として生まれる。
幼少の頃、戊辰戦争で九死に一生を得るが、母を亡くし、生活苦から横浜の生糸問屋に養子に出される。
そこの家業が傾き、11歳の時、その頃できたばかりのアメリカ人女性宣教師メアリー・キダーが創立した女子寄宿学校フェリス・セミナリーに給付生として入学。
実父にも養父にも捨てられたと思ってた彼女にとって、キダーや仲間たちに囲まれる寄宿生活は、初めて「ホーム」と思える心安らぐものであった。
アメリカ式教育を受け、徹底的に英語を仕込まれ、受洗し、卒業してもそこで教師として働く。
25歳の時、女権論者・教育者である巌本善治と結婚し、当時としては珍しく家庭に入っても仕事を続けるが、労咳(結核)と過労に蝕まれてゆき、1896年(明治29年)死去。

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その寄宿学校が、後のフェリス女学院となるのですね。
そして彼女が、教師の仕事をしながら翻訳したのが、「小公子」「小公女」だったのです。
明治24年に出版された「小公子」は、米一升が9銭という時代に、38銭。
それでも日本で初めて児童文学というものが出版され、世の中から賞賛の嵐で迎えられたのだと。
イギリス貴族の男性がアメリカの平民の娘と結ばれ、一人息子セドリックが生まれる。男性亡き後、イギリスの伯爵家にセドリックは引き取られ、様々な軋轢を乗り越えて、頑固な「お祖父様」と仲良くやっていくという、あたたかい物語です。

「若松」という名は故郷の会津を、「賤子」という名は「神のしもべ」を表すのだそうです。
会津藩士の子として生まれ、父親からは「思無邪」と刻まれた短剣だけを渡され、孤独に生きてきた少女が、英語とキリスト教に出逢い、確固とした自分の世界を造り上げる。
31年という短い人生ではあるが、明治初期にこんな強い生き方をした女性がいたということを、この本は明るく綴っています。
「赤毛のアン」を訳した村岡花子の生涯と通じるものがあるようです。

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