最近読んだ本の、備忘的メモ。
●「味なニッポン戦後史」 (澁川祐子著、インターナショナル新書)
塩味、甘味、酸味、苦味に続く第五の味として、日本で発見された旨味。その基本五味に辛味、脂肪味を加えた七つの味について、日本人の味覚の変遷を世相とともにたどる「味の戦後史」の本である。かつお節と昆布だしという、和食の伝統(?)から「旨味」が第五の味として認められ、「味の素」として商品化されたが、化学調味料という言い方を嫌い賛否論争がおきる。その後も「だし」をめぐる論争は繰り返される。塩味も「自然塩」や「減塩」がもてはやされ、専売制の終了とともに多くの塩が店頭に並んだり、甘味も「甘くておいしい」から「甘さひかえめでおいしい」に変化したり、酸味は「酢○○」と称する商品が出ては消え、ビタミンC=酸味という誤解が生まれたりする。苦味の代表として、ビールやコーヒーの好みも時代とともに変わってくる。そして、引いては熱くなるを繰り返す激辛ブーム、「身体にいい油」と「体に悪い油」で混迷する脂肪味。味の戦後史も実に面白い。
●「うつりゆく日本語をよむ」 (今野真二著、岩波新書)
タイトルからは、古代から現代までの日本語の変遷のようなものを想像するが、この本で書いているのは、ここ10年ほどの話である。「ことばが壊れる前に」という副題が付いているが、安定した言語生活が崩壊するような日本語の危機を感じた著者が、現状を分析して問題提起した本といえる。まずは比喩表現について述べている。比喩は互いの共通認識があって通じるものだが、なぜそのような表現になるのか、本来の意味から乖離したような表現がメディア等にも頻繁に登場するようになってきているという。「書きことば」とも「話しことば」とも違う「打ちことば」というものが普及しているが、それが「書きことば」における「圧縮」して「構造化」するという基本を劣化させているという。新聞の見出しを見ても、もはや意味不明なものが多い。ことばはもちろん時代とともに変わっていくところもあるが、日本人にとって日本語は思考のための器であり、書きことばの混濁はそのまま思考の混濁になってしまう。もう一度振り返って、どうすべきか考えてみようということである。
●「太陽の脅威と人類の未来」 (柴田一成著、角川新書)
もっとも身近な恒星である太陽。地球上の生命やエネルギーの源であり、いつも変わらず空にあるように見えるが、実はとてつもなく動的な星なのである。激しい爆発を繰り返し、表面で起こっている爆発一つの大きさは、地球の直径をはるかに超える。その太陽から発せられるエネルギーは、また生命を脅かす存在でもあるのだ。黒点の変化やフレアは、時に地球上に災害さえもたらし、大きな経済的損失をも引き起こす。太陽の変化を捉えて対策しなければいけないと言ってもいいくらいだ。さらに、月についても述べる。太陽系の他の惑星の衛星に比べても、月の大きさは異常だ。月がどのように生まれたかの各説を紹介し、分かっている構造なども述べる。さらに、著者が勤めていた花山天文台の歴史や惑星観測なども紹介し、最後の章では地球外生命体についても述べる。SFの空想の話から、現在は真面目な科学研究の対象になっているのだという。地球外の知的生命体と出会う確率を導く数式は面白い。楽観論者と悲観論者で、数式から得られる値は全く違うのだが。太陽研究の第一人者による、面白い本である。
●「マタイ受難曲」 (礒山雅著、ちくま学芸文庫)
先日、「マタイ受難曲」を初めて生で聴いたのだが、よく分かっているとは言い難いので、これを機に読んでみようと思って、この本を購入した。そもそも受難とは何か、そしてバッハ以前の「受難曲」にはどのようなものがあったのかを解説する序論だけで百頁を超えているのだが、このあたりのことは知らなかったことばかりである。本編では、バッハの「マタイ受難曲」について、第1曲から順に、どのような場面が描かれているのか、それをバッハはどのように捉えて音楽に表したのか、それは受難曲全体の中でどのような意味を持つのかを、詳しく考察している。音符一つ一つに意味があることはいうまでもない。最後の方にはこの曲の録音を、おそらくほぼ全部上げて、演奏上の違いなどを、音楽評論家的視点で語っており、なかなか面白い。巻末に歌詞と対訳も載っているので、久しぶりにCDでも聴いてみようと思う。
●「あんかけ焼きそばの謎」 (塩崎省吾著、ハヤカワ新書)
焼きそば研究家(?)の著者による「ソース焼きそばの謎」を以前読んだが、今度は「あんかけ焼きそば」である。ソース焼きそばは、屋台などストリートフードのイメージがあるが、あんかけ焼きそばは、中華料理店のメニューにあるような、少し高級寄りだ。その歴史を繙いてみようというのが、この本だ。そもそも、あんかけ焼きそばは、麺をカリッと揚げて、そこに具材豊かな餡を絡めたものというのが一般的なイメージだが、中国には麺を揚げた炒麺はないらしい。それでは、そのルーツは何なのかと探ってみると、なんとアメリカに行き着くようだ。アメリカに渡った中国人の作る料理が、アメリカ風に変化したものが近いようなのだ。そして日本では横浜から、あるいは長崎から、発展していくのである。現在「あんかけ焼きそば」と称している料理も、店によってまちまちで、まだまだ奥が深いのである。
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