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2014年08月07日21:36

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【鉄道】 失われた路線の思い出 (北海道/東北編)

前回の日記につづき、国鉄/JR以外の「失われた路線の思い出」を適当に綴る。もちろん乗らないまま廃止となった路線については書けないが、思ったよりも多かったので地域別に分けて書くことにした。


・北海道ちほく高原鉄道

元国鉄(JR北海道)池北線で、乗ったのは平成14年7月だ。以前書いた旅行記から転載する。

北見まで3410円の切符を買う。周遊券が使えないので金がかかるのである。北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線という長ったらしい名前の線だが、「銀河線」と略して呼んでいるようだ。旧国鉄池北線である。池北線時代も含めて初めて乗る線である。北海道の国鉄/JRのローカル線が軒並み廃止になった中で、唯一線路が残った池北線は、やはり「地元代議士」の力があったのだろうか。小学生の姉妹が両親に連れられて乗ってきた。しかし「ちゃんと陸別でおりるのよ」などと言って親たちはおりていった。運転手にもお願いした様子だ。小学生姉妹だけの旅行だ。他には客がまばらで、静かな車内である。発車時間になっても出ないなと思っていると、「特急が遅れているので3分遅れます」とのこと。遅れてきた「スーパーおおぞら」からは1人だけ乗ってきた。この人のために待ってあげたのである。

池田の町を抜けると、このあたりは豆の産地として有名らしく、甘納豆屋の名前がそのまま駅名になった「岡女堂」という駅もある。本別で少々長く停車する。ぼんやりと車内で待っていると、中にいたオバサンが「蜂だ」と騒ぎだした。車内に蜂がいる。自分の手に負えない、他のお客も頼りにならんと判断したのか、運転手を呼びにいったら、運転手は慣れた手つきで蜂を殺してしまった。オバサンは無益な殺生をせぬよう追い出しを図っていたのに、あっさりとたたき殺されてしまったのである。本別を出ると沿線では比較的大きな町、足寄に到着。ここでも5分くらい停車する。さらに進むと陸別だ。さきほどの姉妹も無事おりたようである。陸別は「日本一寒い町」として知られている。その寒いことを観光資源にしているような町である。今日は夏であるが、今度は寒い時に来て、氷点下20℃というのを体感してやろうではないか、という気になる。寒いだけの町のせいか、車内から見た感じでは本別や足寄に比べると寂しい町と見えた。北見に近づくに連れ、客が少しずつ増えてきた。置戸から北見の間は本数も若干増えるし、活気があるのは北見側の方だ。その置戸や訓子別などでわりと乗ってきた。といううちに定刻の12:54に北見に到着。3時間のローカル線の旅も終着である。

結局最も寒い時期に行くこともなく、路線が廃止になってしまった。


・函館市電 (函館駅前−ガス会社前)

乗ったのは、昭和63年2月だ。青函連絡船がまだあった頃、といっても間もなく青函トンネルを通る路線と引き換えに廃止になる航路だったが、深夜の青森を出港して早朝の函館に着いた後、適当にブラブラして列車にも乗り五稜郭駅で降りた。ここから市電が出ているはずと思って降りたのだが、五稜郭駅前−ガス会社前はすでに廃止になっていた。現地に行くまで知らなかった。そこで、五稜郭的前からガス会社前まで約1.5kmを雪の積もった道を歩いたのである。ガス会社前駅は、JRの函館駅と五稜郭駅のほぼ中間だ。ここから市電に乗って函館に行った訳だが、これが最初に乗った函館市電であった。

そのあと少し市電に乗りつつ函館の町を散策した。このガス会社前−函館駅前はのちに廃線になってしまい、他にもいくつか無くなり、函館市電の路線線路もだいぶ寂しくなった。しかし、まだ残っている路線には元気に市電が走っている。函館市電は町の風景と融合して、市電そのものが風景の一部になっていると思うのだが。


・南部縦貫鉄道

乗ったのは平成7年7月だ。東北本線(現青い森鉄道)野辺地から七戸まで走っていたローカル私鉄である。よくも平成の時代まで残っていたというような超ローカル線である。いわゆるレールバスだが、現在の第三セクター路線にあるような軽快なLEカーではなく、バスをそのまま鉄の車に変えて線路上を走らせたような車両で、乗り心地の悪さは筆頭格である。意外と乗車率がよいのは、もちろん鉄道好きな人間がわざわざ乗りに行くからで、地元の利用客よりも多いだろう。それでも途中駅での乗降客もあったし、それなりに利用されていたようだ。七戸駅周辺は意外と栄えていて、中型のスーパーもあった。

現在は東北新幹線が近くを通り、七戸十和田駅も新設されている。しかし、新幹線連絡鉄道として復活する道はなさそうだ。


・十和田観光鉄道

平成16年3月に乗った。これも以前書いた旅行記から転載する。

電車は元東急7000系の2両編成。すいている。三沢を出ると温泉旅館のあるところを合間を縫うように走る。左から錆びた線路が合流するが、かつてはJRと貨物列車の直通もあった(らしい)名残りである。名前は十和田観光電鉄だが、十和田湖への観光に乗る人は少ないと思われ、完全な地元の生活路線のようである。七百で上下交換をする。ここには車庫もあり、最近まで走っていた元東急3800系(緑色の東急色のままのもあったぞ)や、元東急7200系などが停まっている。「次はふるさと」なんて聞くと妙に懐かしい感覚になるが、古里という駅もある。学校の名前の付いた駅も多く、通学路線で高校生は大切なお客様という典型的なローカル線だなあと思う。

といううち27分ほどで終点十和田市に到着。階段を上り改札を出ると駅ビルの中。駅ビルと駅が一体になっている。下はバスターミナルだ。ちょうど昼時なので食事をしようと思い、とりあえず駅ビルから外に出ると、普通の住宅地に入ってしまい、飲食店は見当たらないので駅ビルに戻り、中にある中華料理店「あっぷる」で、海老炒飯を食べた。再び外に出て、改めて駅を眺めると、どうも終着駅っぽくない。線路が先まで続いていて、電気機関車が置いてあるが、よく見るとホームの跡がある。駅は駅ビル側に少し移転したらしい。

終点十和田市駅にはバスターミナルがあり、結局ここも公共交通としてはバスが主役なのである。


・くりはら田園鉄道

上述の十和田観光鉄道に乗った翌日に乗った。これも以前書いた旅行記から転載する。

初めて乗るくりはら田園鉄道、通称「くりでん」だ。栗原電鉄時代にも乗る機会がなく、そのうちに経営母体が三菱マテリアルから自治体の第三セクターになって社名も変わってしまった。今回やっと乗ることができる。JR石越駅を出るとすぐに「くりでん」の乗り場があり、えんじ色の気動車KD95が停まっていた。切符も売っていず駅員もいない。金は車内で払えということだ。車内はガラガラで、JRから乗り換えたのも数人だが、下りの東北本線が着くと少し増えた。全部で10人くらいいる。電化されていたものを非電化に変えた訳だが、まだ架線柱は残っている。ただし架線は撤去されている。

細倉マインパーク前行きは定刻10:17に発車。駅名が長いせいか、駅には「細倉(マ)方面」などと書いてある。若柳には車庫があり、電化時代の車両、つまり「電車」が晒してある。使われなくなった車両は傷むのが早い。沿線は長閑な田園地帯。ササニシキの産地である。略称の「くりでん」をそのまま使えるようにと、「電鉄」でなくなった時に「田園」の文字を入れたけど、名前の通りの「田園鉄道」である。沢辺で上下交換。ここでタブレット交換をする。こういう光景も希少だ。沿線では比較的大きな町で、ここから仙台や一ノ関への高速バスも出ている。それが、「くりでん」の経営を圧迫する原因になっているのか。それが細倉鉱山閉鎖とともにいつ廃止になっても不思議でない鉄道となったが、なんとかそれなりに生き延びているということである。栗駒に着く頃は客はわずかになり、ここを過ぎると3人だけになった。途中で気付いたが、まだ架線が残っている区間があった。でも「電車」が走ることはもうないだろう。

鶯沢工業高校前を過ぎると突然登山鉄道の様相になり、カーブと勾配の連続で次の終点、細倉マインパーク前まで登っていく。移転前の旧細倉駅は、まだホームがそのまま残っていた。そこを通過すると、そのちょっと先が移転した終点、細倉マインパーク前だ。寂しい駅である。おりたのは3人。トイレに行っている間に残り2人はどこかに消えてしまった。時刻表を見ると、折り返し列車の後は、約1時間後、2時間後にそれぞれあるので、2時間後のに乗ることにして、ちょっと早い昼飯と、折角来たからマインパークを見学した。
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