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2012年10月12日21:50

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【旅行】 琴電と伊予鉄の旅

10/5(金)〜10/7(日)に、四国は香川県と愛媛県に行って、琴電と伊予鉄に乗ってきた。


1.久しぶりの四国上陸

ようやく秋らしくなってきた10月初旬、5日の金曜日は勤務先が休日で4連休となるので、久しぶりに四国に行くことしした。四国に行くのは12年ぶりである。しかも12年前は仕事の出張で高松と高知に行っただけであり、個人の旅行として四国に行くのは実に22年ぶりだ。

四国に行くにはいくつかのルートがあるが、今回は新幹線と瀬戸大橋線で行くことにした。新横浜発7:29の「のぞみ9号」博多行きで出発する。N700系である。今日は平日なのでビジネス客が多いが、3連休の前日ということもあってか、大きな荷物を持った客も目立つ。隣席の客は名古屋で入れ替わった。5月の旅行と同じ列車で同じく岡山までの乗車だが、ここから先は四国へ向かうのである。「マリンライナー23号」が発車するホームで待っていると、「瀬戸の花嫁」のメロディーとともに列車がやってきた。JR西日本の車両である。発車して間もなく、備前西市で上下交換の運転停車をする。瀬戸大橋線の一部は、単線ローカル線の宇野線なのである。茶屋町を過ぎると本四備讃線に入るが、途端にトンネルばかりになる。児島で乗務員がJR四国に交代すると、いよいよ瀬戸大橋だ。瀬戸内の島々を眺めながら橋を渡り、四国に上陸する。予讃線と合流して坂出に停車すると次は高松だ。

22年ぶりの高松駅だが、その変貌ぶりに驚いた。そもそも駅の位置すら変わっている。かつては宇高連絡船との接続のためにもっと海寄りにあったが、300mほど移動しているのだ。駅舎もきれいなものに変わり、22年前の記憶は全くあてにならない。すべての線路が行き止まりで、それゆえ段差なくホームから改札の外に出られるバリアフリーな駅であることは変わらない。

ちょうど昼時なので軽くうどんでも食べようと思ったが、軽くうどんどころか、ここは本場「うどん県」なのだ。しかし高松駅前にうどん屋はあまり見当たらない。高松駅前は大きなビルはあるものの繁華街からは少し離れており、やや寂しい感じがする。駅前で唯一見つかった「がいな奴」という小さな店に入るが、さすが本場であり美味しいうどんであった。

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(高松に到着したマリンライナー)

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(高松駅)

2.琴電志度線と八栗山

高松琴平電気鉄道、略称「琴電」は琴平線しか乗ったことがない。今日はそれ以外の志度線と長尾線に乗ってみたい。高松築港駅はJR高松駅と若干離れたところにあり、高松城(玉藻城)のすぐ横だ。停まっていたのは琴平線の黄色い電車で、まずはこれで瓦町まで行くことにする。元京急の車両だ。志度線はすべて瓦町始発で高松築港からは出ていない。2つ目の瓦町で降りて、一旦外に出てみた。瓦町駅も以前来た時からかなり変貌している。駅ビル(天満屋)と一体となった駅で、駅周辺は高松の繁華街の中心に近く賑やかである。菊池寛通りを歩き、アーケードのある商店街を少し散策して駅に戻る。

琴電の自動改札機はICカード(IruCa)専用となっており、券売機で買った乗車券では有人改札から入ることになる。ICカード専用の自動改札機しかない鉄道は琴電くらいだろう。瓦町駅の志度線乗り場は少し離れており、線路も他線とはつながっていない。駅舎改築時に乗り場を移転したようで、これでは高松築港駅への乗入れが出来ない訳だ。志度線は赤い電車である。琴平線は黄色、志度線は赤、長尾線は緑と、車両の色も区別されていて分かりやすくなっている。琴平線、長尾線はほとんどが元京急の車両のようだが、志度線は元名古屋市営の車両が主役のようだ。

瓦町発12:46発の琴電志度行き電車に乗り、各駅にこまめに停車しながら進んでいく。平日午後の空いた電車である。源平合戦ゆかりの屋島など降りてみたい駅もいくつかあるが、今日は八栗にのみ下車することにした。ケーブルカーで八栗山(五剣山)に行こうと思う。屋島にもあったケーブルカーは休止されているので、こちらは徒歩で登らなくてはならない。屋島でなく八栗を選んだ唯一の理由はこれである。

八栗駅はこぢんまりとした駅で、あまり観光地の駅という感じがしない。ケーブルカー乗り場までは徒歩30分と結構あるが、大体の道順を駅の案内図で確認して歩く。駅の近くには源平合戦総門跡の碑があり、このあたりも源平合戦ゆかりの地である。周りには石材店がかなり多いが、ここ高松市牟礼は実は「石匠の里」なのだ。しばらく歩くとどうも様子がおかしいことに気付いた。どうやら曲がるところを通り過ぎてしまったようだ。少し遠回りをして、八栗駅から35分ほどでようやくケーブルカーの駅に着いた。八栗登山口駅である。四国ケーブルの八栗ケーブル線である。

ちょうど発車するところだったので往復乗車券を買って乗り込むと、乗客は自分を含めて3人だけだった。1人は小学生だ。八栗山上駅までは約4分だが、その間なんとも物悲しい歌が車内に流れる。「弘法大師のいろは歌」というそうだ。歌詞は「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ...」である。八栗山上駅で降りると、乗客の1人は事務所の中へ、もう1人の小学生は店の中に「ただいま」と言って入っていった。つまりよそから来た客は自分1人だけだったのだ。平日とはいえ寂しい限りだが、折角来たので八栗寺まで行くことにする。

八栗寺の本尊は、木食上人が東福門院より賜った歓喜天で「聖天さま」と称されている。そして、四国霊場第85番札所である。1番から84番を省略していきなり85番もないだろうが、お参りだけしてケーブルカーの駅に戻る。帰りは8人ほどの乗客がいた。車内に流れる曲は登りとは別で、「シルクロード」だ。帰りは迷わずに真っ直ぐに八栗駅に向かう。20分ほどで着いた。

八栗から琴電志度行きに乗車する。間もなくJR高徳線の線路が見える。高松から志度までほぼ並行しているのである。塩屋を過ぎると海が見える。志度湾の海岸沿いに走りつつ高松市を抜けてさぬき市に入ると、終点の琴電志度だ。志度は平賀源内の生誕地であり、駅前の通りを「源内通り」と称する他、記念館などもある。源内は本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家、等々いろいろな肩書があり、要するに多才な人だったのだ。

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(瓦町に停車中の志度線)

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(八栗駅)

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(八栗ケーブルカー)

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(八栗寺大師堂)

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(八栗寺聖天堂)

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(琴電志度駅)

3.長尾寺と琴電長尾線と高松

琴電志度駅はJR志度駅に近い。次に乗りたい琴電長尾線に乗るために同じ琴電で瓦町まで戻るよりも、変化を付けてJR高徳線に乗るのも面白い。さらに地図を見ると、高徳線の造田駅が長尾駅に近いので、この間を歩いてみることにした。下りの三本松行きはたった1両のディーゼルカーで、出発時刻まで10分もあるのにすでに停まっていた。ここで特急の待ち合わせをするのだ。高徳線はほぼ海沿いに走るが、志度を過ぎるとなぜか内陸側にカーブしていく。そのため造田駅から長尾駅まで歩ける距離になるのだ。オレンジタウンを過ぎて、次の駅は造田だ。無人駅で、他に下りる人もいなかった。駅前も栄えているとは言えず、分かりやすい案内図もないので迷わずに行けるか不安になるが、のんびりとさぬき市の田園地帯を散策しつつ行くと、40分ほどで長尾の町に出た。長尾の町は意外と栄えている。

長尾駅に行く前に長尾寺に行くことにした。長尾寺は第87番札所であり、結願の寺の第88番札所の大窪寺まであと一つというところだが、八栗寺のあと第86番札所の志度寺も飛ばして来てしまっては仕方ない。お参りだけして寺をあとにする。長尾寺から琴電長尾駅はすぐ近くである。帰宅の高校生たちと入れ替えに16:47発の高松築港行きに乗車する。元京急の車両の2両編成である。各駅に停まりながら讃岐平野を坦々と進み、瓦町で琴平線に合流してそのまま高松築港に行く。

今夜の宿は高松駅に近い高松ターミナルホテルにした。チェックインしたあと食事をしに外出するが、やはり高松駅前は飲食店があまりないので、繁華街の方まで歩いていくことにする。兵庫町商店街というアーケード街を歩き、適当な居酒屋があったので、そこで飲むことにした。うどん屋もさすがに多いが、今夜は飲みたい気分だ。入った店は金曜日の夜だというのに意外と空いていたが、静かに飲むことが出来たのでよかろう。店を出ると、すぐ近くで踏切の警報器の音が聞こえた。高松築港の次の駅である片原町駅のすぐ近くなのであった。歩いてもホテルに帰れるが、折角だから1駅だけ琴電に乗って帰った。高松築港−瓦町間は本数も多く、ほとんど待たずに乗れる。

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(造田に到着した高徳線)

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(長尾寺本堂)

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(長尾駅)

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(長尾に停車中の長尾線)

4.讃岐から伊予へ

翌日6日(土)はやや雲の多い天気だが、雨が降ることはなさそうだ。今日は愛媛県の松山まで移動する予定で、昨日のうちに松山までの乗車券と8:47発「いしづち7号」の指定特急券を買っておいた。まだ時間があるので、高松駅周辺を少し歩いてみる。かつて宇高連絡船乗り場があったあたりに線路のモニュメントがあるが、当時の面影はほとんどない。駅に戻り、駅構内の「連絡船うどん」で朝食とする。このうどん店だけは当時の面影を残す唯一の存在で、つい入ってしまいたくなる。

高松発の「いしづち7号」は3両編成である。先頭は流線型の格好いい車両だが、後ろは平面切妻である。これは岡山から来る「しおかぜ3号」と宇多津で併結するためで、宇多津からは8両編成になる。高松発の「いしづち」は空いていたが、岡山発の「しおかぜ」はどうだっただろうか。宇多津までは女性の車掌が案内していたが、ここからは男性の車掌に変わった。おそらく「しおかぜ」の車掌だろう。高松発は宇多津に先に着いて6分も待たされるし、どうも本州から来る「しおかぜ」の方が主役のようだ。瀬戸大橋が出来るまでは特急など停まらなかった宇多津にも停まることもあり、多度津まではやたらと停車駅が多く感じる。以前は高松の次は多度津だった。多度津は町自体は大きくないが、鉄道路線の要所として特急が停まるのであり、直江津や米原と同じような駅といえよう。

多度津から先は単線になる。間もなく海が見えて、津島ノ宮を見つつさらに進む。箕浦で上り特急と交換のために運転停車する。香川県から愛媛県に入る前に小休止したかのようだ。どこが「中央」なのか分からない四国中央市の川之江、伊予三島を過ぎると、海の近くを走っているはずなのに、やや山奥を走っているような風景になる。今治を過ぎると次は松山だ。快調に飛ばして定刻に松山に到着した。

松山駅に降りるのも22年ぶりだが、高松駅と違ってこちらは以前の記憶から大きく変わっていなかった。松山駅前が意外と寂しいのも変わらない。繁華街の中心は伊予鉄道の松山市駅のあたりなので、間もなく正午でもあり、松山市駅まで行って昼食とすることにした。伊予鉄道は路面電車は全線乗ったことがあるが、郊外電車3路線は全く乗ったことがなく、今日の楽しみはそれらに乗ることだが、先に高浜線の大手町から松山市まで1駅だけ乗ることにした。大手町駅はJR松山駅から近い。郊外電車と路面電車の平面クロスが見られるのも、おそらく日本ではここだけだ。来た電車は元京王井の頭線の車両で、これが伊予鉄道の主力車両のようだ。松山市駅で下車する。「いよてつ高島屋」が駅ビルになっており、JR駅前と比べても賑やかな駅前だ。昼食は「まつちかTOWN」にあるカレー屋で取った。

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(高松駅の「連絡船うどん」)

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(松山に到着した「いしづち7号」)

5.伊予鉄横河原線

伊予鉄道は松山市を中心に3路線があるが、まずは横河原線に乗ることにした。伊予鉄道は開業125周年とのことで、国内の鉄道の中でもかなり歴史が古いのである。漱石の『坊ちゃん』が乗った「マッチ箱のやうな汽車」も伊予鉄道である。松山市12:21発の横河原行きも元京王井の頭線の車両だった。横河原線と高浜線は1つの路線のように直通運転をしている。先ほど大手町から乗った高浜線は複線だったが、横河原線は単線だ。起伏もほとんどなく直線に近い路線で、松山市郊外を坦々と走っていく。家の軒先をかすめるようなところもある。しかし、途中から少しずつ勾配を登っているのが分かる。実は、石鎚山を含む「南予アルプス」と呼ばれる山岳地帯に近づいているのだ。もちろん電車は本格的な山登りをすることはなく、横河原で終点である。

横河原駅は木造の趣のある駅舎で、歴史を感じさせる。駅前の道路も坂になっていて、さらに進むと山に入るのだろう。ここは松山市を抜けて東温市である。東温市に来たのも初めてである。少し駅前を散策して駅に戻る。

帰りの高浜行きは元京王5000系だ。同じ京王電鉄ながらゲージが異なる京王線と井の頭線の車両が、ここでは同じ線路を走っているのだ。もちろん旧5000系の方は台車を履き替えている。松山市までは同じ道を戻り、ここで郡中線に乗り換えることにした。

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(横河原駅)

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(横河原に停車中の横河原線)

6.伊予鉄郡中線

郡中線の郡中港行きは隣りのホームに停まっていて、高浜行きとの接続をとってほぼ同時に発車する。横河原線と同じく、坦々と松山市の郊外を走るが、鎌田と岡田の間で川を渡るなど多少の変化はある。その川を渡ると松山市を抜けて松前町に入り、さらに進むと伊予市だ。短い路線のわりに、3つの自治体にまたがっている路線である。郡中は伊予市の繁華街に近いのか、ほとんどの客がここで降りてしまった。次が終点の郡中港だ。郡中港まで乗ったのは3人のみだった。

郡中港はJR予讃線の伊予市駅のすぐ前である。松山に戻るのは予讃線を使うことにしたが、まだ発車時刻まで間があるので、駅前を散策する。手づくり交流市場「町家」と称する場所あり、何かと思ったら、特産品販売所や食料品店、食堂、フリーマーケットなどが集まったスペースであり、地元の人たちでにぎわっていた。この「町家」の前には「五色姫」の像がある。源氏に追われた平家の5人の姫が、赤・緑・黄・黒・白の石に化したという伝説があるらしい。

伊予市から乗った予讃線の14:36発の松山行きは、たった1両のディーゼルカーである。伊予鉄道に比べて本数も少なく、沿線風景も郊外というよりは田園風景だ。しかし、松山の1つ手前の市坪駅は目の前が松山坊ちゃんスタジアムで、野球観戦に行くには便利な路線のようだ。四国アイランドリーグなど、四国独自の野球リーグもある。終点の松山で下車した。

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(郡中港に到着した郡中線)

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(郡中港駅)

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(郡中の「町家」と「五色姫」)

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(予讃線のディーゼルカー(伊予市))

7.松山城と松山

伊予鉄道の路線であと乗っていないのは高浜線の大手町−高浜のみである。しかし、一日中伊予鉄道に乗ってばかりいるのもなんなので、高浜線は明日にして、少し市内観光をすることにした。とりあえず、松山駅前から路面電車の道後温泉行きに乗車して適当なところで降りることにした。結局、松山城に近い大街道で下車して、そのままロープウェイ通りを進む。この通りはいかにも観光地な雰囲気の道である。ロープウェイの東雲口駅まで5分ほどで到着した。折角だからロープウェイに乗って城を見学しよう。

切符売り場には「マドンナ」の格好をした若い女性がいて案内をしてくれる。往復乗車券と天守閣の入場券のセット券を買って乗り場に行く。ロープウェイと並行してリフトもあり、どちらか一方を選択できる。登りは「マドンナ」の案内が付くロープウェイにした。ロープウェイに一緒に乗り込んだ眼鏡をかけた「マドンナ」は、マドンナの格好も似合っていて好ましかった。ロープウェイは比較的ゆるやかな勾配で、2分ほどで頂上の長者が平(ちょうじゃがなる)駅に着く。ここから天守閣まではさらに少し歩くことになる。

松山城は加藤嘉明によって創設された城で、海抜132mの勝山山頂に本丸、中腹に二之丸、山麓に三之丸を置く連郭式平山城で、全国的にも珍しい「登り石垣」が配されて敵の侵入を防いでいるという。天守閣や櫓、門など21棟が重要文化財に指定されている。天守閣に登り、松山の町を見下ろす。下を走る市電が模型のようだ。天守には修復中に発見されたという、大工さんが下見板に描いたらしい侍の似顔絵の落書きも展示されているが、なかなか上手い絵で思わず笑ってしまう。

    松山や秋より高き天主閣 (子規)

松山城の見学を終えて、「いよかんソフト」を食べて一休みしたあと、帰りはリフトで下りた。ロープウェイの3倍の時間(約6分)がかかるが、風に吹かれながらゆっくりと下りて行くのもいいものである。大街道まで戻り、そのまま大街道の商店街を歩く。特に何か買物をする訳ではないが、大街道を歩き右に曲がって銀天街を歩くと松山市駅に着いた。

松山市駅前から市電に乗り大手町で降りる。大手町に行くには高浜線に乗った方が早かったと乗ってから気付いたが、急ぐことはないのでどうでもよい。今夜の宿は大手町駅近くの松山シティホテルにした。チェックインして部屋に入ると、窓から高浜線と市電の平面クロスが見える。電車が通るたびに眺めていると面白い。

食事をしに外出する。JR松山駅にも近いので駅前に行ってみるが、JR駅前には食事が出来る店が少ない。昼間も見て分かっていたはずなのになぜか来てしまった。市電に乗って松山市駅か大街道あたりに行くのが正解だったかもしれないが、松山駅前に「ぐるめ亭」という店を見つけたのでここにした。天下無双膳というのが看板メニューらしく、それを注文する。サイコロステーキと大きなエビフライとミモザサラダで、かなり量が多い割に安い。あとから来た他の客もほとんどこれを注文しているのも頷ける。

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(松山城ロープウェイと「マドンナ」)

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(松山城天守閣)

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(伊予鉄の路面電車(大街道))

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(大手町の平面クロス)

8.伊予鉄高浜線

翌7日(日)の朝、松山は快晴だ。松山駅構内の「ウィリーウィンキー」で朝食を取ったあと、伊予鉄道高浜線に乗ることにした。大手町駅発8:00の高浜行きは、やはり元京王井の頭線の車両だった。高浜線は複線で、他の2路線よりは格上なのだろうか。もっとも、電車はほぼ横河原線と一体運行なので、高浜線の本数が多い訳ではなさそうだ。次の古町でも市電と交差する。こちらは大手町のような直角ではなく、市電が斜めに横切っていく。古町を過ぎると複線のまま高架になり、ますます他の2路線とは格が違うようだ。しかし次の衣山で再び地平に下りてしまった。日曜日だが車内には高校生が多く、山西でみな下りた。近くに高校があるのだろうか。三津、港山を過ぎると海沿いに出て、梅津寺駅はホームの横がすぐに海だ。ここから終点の高浜まで1駅だけ単線になった。終点の高浜で下車する。

高浜からは松山観光港行きのバスに接続しているが見送り、駅前のフェリー乗り場に行ってみる。目の前に見える興居島や、その奥にある中島行きのフェリーが頻繁に出ており、これらの島々は松山と同じ生活圏にあることをうかがわせる。さて、これで伊予鉄道も全線乗った訳だし、あとはのんびり帰ろうと思うが、高浜駅と松山観光港を結ぶ「電車連絡バス」も、電車と接続を取って高浜線の一部のような運行をしているバス路線なので、ついでに乗ってみることにして、次に高浜に到着する電車から接続するバスに乗った。乗ってしまえば、わずか2分ほどで松山観光港に着いてしまう。歩いても行ける距離である。

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(高浜駅)

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(松山観光港行きの電車連絡バス)

9.松山観光港から広島へ〜帰宅

松山観光港のターミナルビルに入ってみると、ここから広島、呉方面へのフェリーが出ている。松山駅に戻ってJR経由で瀬戸大橋を渡るよりも、海を渡って広島経由で帰った方が面白そうだ。すぐに出航する9:00発の広島行きがあるが、慌てることもないので、そのあとの便にした。次は9:35、その次は10:00である。よく見ると普通のフェリーと「スーパージェット」と称する高速艇があり、あとの10:00の方が先に広島港に着くのだ。9:35発は12:15に広島港に着くが、10:00発は11:17に着く。ずいぶん速いが、その分値段も高い。普通のフェリーなら3,900円だがスーパージェットは6,900だ。しかし、所要時間と値段を掛け算すると、スーパージェットの方がお得なことが分かる。 10:00発のスーパージェットの乗船券を購入し、ターミナルビル内で四国の名残に浸りつつ過ごしていると、間もなく石崎汽船のスーパージェットが入ってきた。

スーパージェットに乗り込むと、定刻に松山観光港を出港した。あとは快調に瀬戸内海を進んでいく。音戸の瀬戸から湾内に入り、途中呉港にも寄る。呉はいかにも軍港という雰囲気だ。呉には1分ほど停まってすぐに出発した。まるで電車のような素早さだ。呉を出ると間もなく広島港に到着した。松山から1時間ちょっとで着いてしまい、海の上を走るだけでも退屈しない。鉄道を中心に考えると、本州と四国の間は瀬戸大橋線のみに目が行くが、広島−松山の航路もなかなか便利である。

広島港(宇品)のターミナルビルで、正午にはまだ早いが昼食とする。2階が食堂街だが、中華料理店とインド料理店と珈琲店のみがあり、インド料理店に入った。こんなところに本格的なインド料理店があるとは思わなかった。海を見ながらのインドカレーもなかなか良いものである。

さて、広島港から広島駅へは広電で行くことが出来る。紙屋町経由と比治山下経由の2系統があり、前者の方が距離は長いが市の中心を通るメインラインである。次に出るのが紙屋町経由なので、こちらに乗車することにする。乗ったのは広島交響楽団の広告ラッピング車両で、クラシック音楽好きにはちょっと楽しくなるが、実はもう一つ楽しくなるものがある。そのために敢えて遠回りの紙屋町経由に乗ったとも言える。紙屋町経由というよりも銀山町経由というべきで、銀山町で降りると、北欧クラシック音楽CDの専門店である「ノルディックサウンド」に寄れるのだ。もちろん下車して行った。店主と雑談しつつ棚を眺めていると、やはり手ぶらで店を出るのは難しく、5枚ほど購入した。フォン・コックを2枚、ヴィレーン、ノールマン、ルイ・グラスを各1枚である。

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(松山観光港に停泊中の「スーパージェット」)

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(広電(広島港駅))

銀山町から広島駅に出て、新幹線「のぞみ」に新横浜まで乗って帰った。広島を出た時はまだ明るい昼間だったのに、新横浜に着く頃にはすっかり暗くなっていた。秋の日はつるべ落としだ。特に夕方新幹線で東方向に向かうと、なおさら日暮れが早く感じる。
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