6.5/10
マイケル・トルキン監督・脚本
ミミ・ロジャース デヴィッド・ドゥカヴニー
ダーウィン・カーソン
もともと宗教とはほど遠く、性的に奔放な生活を送っていた女性シャロン(ミミ・ロジャース)。周囲には終末が近づいていると考える人々がいて、やがて彼女自身も啓示を受けたと確信する。それまでの虚しい生活を捨て、セフレだったランディ(デヴィッド・ドゥカヴニー)と結婚し、彼も信仰の道へと導いていく。
しかしランディは職場で凶弾に倒れる。残された母娘は、神の出現とThe Rapture=携挙(けいきょ)を期待して荒野へ向かう。しかし神はなかなか現れず、絶望の果てに「イサクの燔祭」を思わせる展開へ。そしてついに終末の時が訪れる。
キャスティングがレトロスペクティブに見ると意味深である。
ミミ・ロジャースは父親の影響から幼少期よりサイエントロジーに接して育ち、元夫トム・クルーズをサイエントロジーに紹介した人物としても知られる。
そんな宗教的環境で育ったロジャースが、宗教への帰依によって人生を根底から変えてしまう女性を演じながら、本作の前後の時期に自身はサイエントロジーから離れていくというスクリーン外の展開が味わい深い。
また、後年自身の性依存の治療を公表することになるドゥカヴニーが、まさに性的に爛れた生活を送る男として登場するのも、今となっては妙なメタ感がある。本作ではそんな生活から宗教に帰依したドゥカヴニーが神の加護もなく殺されてしまう一方、スクリーン外でサイエントロジーの熱心な信者となったトム・クルーズは、今なおスクリーンで活躍し、危険なスタントまで無事にこなしているのも何とも面白い。
本作が面白いのは「神は存在するのか」という問いだけで終わらないところ。神の存在の有無を超えて、たとえ神が実在するとしても、人間はその神をどう受け止めるのかという一歩先の問題まで踏み込んでいるのが斬新だった。
残念なのは、終末描写がかなり箱庭的なスケールに留まっていること。
『マウス・オブ・マッドネス』くらいの「世界そのものが終わる」感覚が欲しかった。圧倒的な神の御業をシャロンにも観客にも見せつけ、神の存在を疑う余地など完全になくしたうえで、それでもシャロンはその神を受け入れるのか、拒絶するのか。
そこまで映像で押し切ってくれたら、さらに強烈な作品になっていたと思う。と
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