石原伸晃、石原良純、石原宏高、石原延啓、4兄弟共著。
父は慎太郎、叔父は裕次郎。華麗なる「昭和の家族」の知られざる日々。強烈な家風で知られる「石原家」の日常は涙と笑いに満ちていた。お正月から大晦日まで、幼少期の出来事から介護、看取り、相続までを兄弟それぞれの視点から振り返る追憶エッセイ。
一橋大学の学生であった慎太郎が、高校生であった17歳の典子さんと結婚した話は有名ですが、その後典子さんが、大臣の妻が高卒では駄目だと、慶応大学に入学して卒業していたとは知りませんでした。
その家は、とにかく「慎太郎帝国」であったようです。
その様子が4人兄弟の目線で書かれていて、微妙にニュアンスが違う所が面白い。
例えば「家」に関する章は、こんな感じ。
”ぬくい布団にくるまって夢の続きを見ているうちに母が戻って来、急かされながら朝の支度を整え、母屋に向かう。この時母が「しーっ」と言えば父が在宅している、という事だ。私は、ああ、今日はお父さん来てるんだ、と思う。超多忙な父は不在なことが殆どで、私はお父さんというのは時々来る人だと思っていた”(伸晃)
”(田園調布の家は)実際、親父の部屋ばかりだった。親父の寝室兼書斎、書庫、アトリエ。大きな客間は、子供は立ち入り禁止。玄関から真っ直ぐに伸びる大きな階段。玄関ホールと階段と二階の回廊が家の容積の三分の一を占めていた。そして四人兄弟で、子供部屋は一つしかなかった”(良純)
”逗子の家の客間や食堂の窓は、海に面した大きな一枚ガラスで、部屋いっぱいに陽射しが入る。父は一切の遠慮なく、私と、泊まりに来た友人にその窓ガラスの拭き掃除を命じる。初夏、水を入れる前のプールの清掃を命じられることもあった。父に言われると、誰一人文句を言うこともなく掃除に励んだ”(宏高)
”逗子の家は今考えてみても大変な豪邸で、30代半ばであの家を建てた父がどれほどの流行作家であったのかを想像することができる。もっとも母からは、散歩から帰って来た父に突然、「披露山に見晴らしのよい土地を見つけた。家を建てるから支払いしておいて」と言われ、貯金通帳を睨みながら血の気が引いた、と聞かされてはいたが”(延啓)
そんな昭和の父親の下、4人の息子たちは仲良く成長して、政治家、タレント&気象予報士、画家としてそれぞれ名を成している。
そして典子夫人は、慎太郎が亡くなった一ヶ月後、84歳で大動脈瘤破裂で死去しているのです。
67年間連れ添って、そんなことってあるのですね。
石原家の内情が分かって、中々興味深い本でした。
この2週間に読んだ本
「生殖記」「正欲」 朝井リョウ
「明日の食卓」 椰月美智子
「カトマンズに飛ばされて」 古舘佑太郎
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