歳の離れたイタリアの大富豪と結婚した日本女性、位にしか知らなかったチェスキーナ洋子氏。
どんな人生を送ったのかという好奇心で読んでみました。
1932年、著者は熊本の政治活動をする永江家の長女として生まれる。
白い洋館でお手伝いさんもいる裕福な家だったが、父親は事業に失敗し、
夫婦仲も悪く、結構大変な子供時代を送ったらしい。
母親が家出したり、父親が亡くなったり、叔母に引き取られたりと
思春期の3年間に三度苗字を変え、住まいも学校も変えたというのですから。
それでも彼女は音楽が好きで、ピアノを心の支えにして生きていたといいます。
芸大ハープ科に入学して上京、東京交響楽団のハープ奏者としても活動する。
その頃、芸大の学生と学生結婚、しかしこれはすぐに破綻。
1960年イタリア政府給費留学生として、ベネツィア音楽院に留学。
ここで彼女は言葉やお金に苦労しながらも、水を得た魚のように生き返る。
”ふり返ってみると、私はこれまで、自分はどこか変わっている人間ではないか、世間の常識から外れた
はみ出し人間なのではないか、と、ずーっと引け目に感じていた。
ところがどうだろう、この国の人たちの、この明るさ、この率直さ!
これまでの自分がバカみたいに思えた。もう、ここでは遠慮はいらないんだ、
自分は自分のままでいいんだ、そう気がつくと、私は身も心もすっかり軽くなっていた。”
そんな頃に、彼女はバールで26歳上のレンツォ・チェスキーナに見初められるのです。
二人は楽しく付き合い始めるが、結婚したのは出逢ってから15年後。
その間には別れたり、彼女が他の男性と結婚しようとしたり、まあ色々あったらしい。
そもそも最初の頃は恋人として熱い時を過ごしたが、その後はずっと、
父娘のような関係になってしまったというのです。
1977年に結婚したのは、70歳になったレンツォが自分の歳を実感したこと、
そして彼女に全財産を残したいと考えたからだろうと、彼女は述懐しています。
その5年後、1982年にレンツォは心不全で死去。
そこから300億円の遺産を巡る、長く厳しい闘いが始まるのです。
彼女に全財産を残すというレンツォの遺書が、彼女の偽造だと遺族が起訴。
民事、刑事で訴えられ、イタリア中を騒がせたという裁判は10年の長きに渡り、
最終的に彼女が勝訴を勝ち取ったのは、1993年であったと。
晴れて遺産を相続した彼女は、音楽家のパトロンとして世界的に活躍し、
2015年に死去。
この本の表紙の写真は、ベネツィアのチェスキーナ家なのだそうです。
高齢になってからの彼女の顔しか知らなかったのですが
本の中には若い頃の写真も。
頑固一徹で自説を曲げないという「肥後もっこす」の、逞しい一代記でした。
ヴェネツィア 私のシンデレラ物語
https://tinyurl.com/qtwwsp2
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