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2014年08月04日23:26

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【鉄道】 失われた路線の思い出 (国鉄/JR編)

鉄道路線が建設されるには必ず理由があるが、その理由となった事柄が意味を失ったら、廃線もやむを得ないと思う。役目を失った路線をいつまでも残しておいて、収益の得られないまま無駄な費用を発生させることはない。

鉄道オタクと呼ばれる人たちは(自分もその中に入るが)、鉄道路線の廃止に無条件に反対したり、やたら感傷的になったりする人も多いようだが、自分はちょっとそれとは違うようだ。

とはいえ、かつては人や物資の輸送を担い、地域の発展に寄与した鉄道路線がなくなるのは、時代の移ろいを感じて寂しさも感じることも事実だ。昭和50年代の路線図などを眺めると、北海道や九州にも多数の路線が存在し、現在とは全く状況が違う。よくもこんなにたくさん線路を引いたもんだと思う。

乗らないままに廃止になってしまった路線も多いが、一部は乗ったことがあり、そんな「失われた路線の思い出」を適当に綴る。(経営が第三セクター等他事業者に移管したものは除く。これはまだ現存の路線だ。)

・深名線
 平成3年の11月に乗った。文化の日を加えて奇跡的に(?)1週間休みが取れたので北海道を鉄道に乗ってあちこち回った。深名線には名寄から深川まで通して乗ったが、ほとんど貸切状態だった。深川に近付いてきてようやく他の客が乗ってきた時にホッとしたものだ。周囲は人家もまれで、これでは廃止になるのも止むを得ないが、しばらく路線が残っていたのは、沿線は豪雪地帯であり道路も未整備だったため、冬の間の交通手段の確保が必要だったからだ。代替バスが走るようになれば鉄道の役目は終わった訳だ。11月はまだ南関東ではそれほど冷え込まないが、北海道は違う。この日も雪が降り、パラパラと降ってきたなと思ったらあっというまに数十センチも積もって驚いた。夕方の列車ですでに日は暮れかけ(北海道の冬は日暮れが早い)、たった一人乗った列車で雪の中を走る、なんともいえぬ体験だった。

・江差線(木古内−江差)
 江差線の五稜郭−木古内は、津軽海峡線の一部となり、本州と北海道を結ぶ特急列車が頻繁に走り、高速貨物列車も通る大動脈だ。しかし、残りの区間は完全なローカル線である。この末端区間に乗ったのは平成9年の7月だ。前述の深名線ほど閑散としてはいないが、長閑なローカル線という雰囲気ではあった。乗ったのは2両編成のディーゼルカーだった。終点の江差駅で降りたら北海道だというのにかなり暑く、これでは本州の7月と変わらないではないかと思ったものだ。それでも列車内は、冷房など付いていないが窓からの風が心地良かった覚えがある。

・岩泉線
 岩泉線に乗ったのは平成11年の7月だ。1日3本しかない閑散ローカル線だが、意外と乗車率はいいのである。もちろん(?)客の半分以上はたぶん鉄オタだ(笑)。沿線にはほとんど何もなく、よくもこんなところに駅を作ったなというような駅ばかりだ。長いトンネル内では窓を開けると寒いくらいであった。岩泉だけは意外と栄えており、龍泉洞も近いが、岩泉の公共交通はほとんどバスであり、鉄道はどうでもいい存在だということが現地に行けばよく分かる。折り返しの列車は、まだそんなに遅い時間ではないのに、太陽が西側に傾きはじめると山の影になって、暗くなってしまうのだった。やはり山奥のローカル線なのである。

・信越本線(横川−軽井沢)
 信越本線は、長野新幹線開通と同時に、一部はJR信越本線として残ったものの、軽井沢−篠ノ井は新幹線並行区間ということでJRから切り離され「しなの鉄道」に移管された。そして、横川−軽井沢は廃止になり、線路も途切れてしまったのである。ここは何度か通っている。横川では全列車が停車し、機関車を2両増結して軽井沢まで急勾配を登っていく。軽井沢では機関車を切り離す。この効率の悪さが、新幹線と引き換えに廃止になった要因だ。しかし、その機関車連結の間にかなりの乗客が横川駅ですること、それは「峠の釜めし」を買うことだ。この駅に停まったら買わずにはいられない、不思議な魔力を持った弁当なのである。軽井沢駅まで約20分もかかるが、この時間がちょうど食べるのにいい時間なのである。「峠の釜めし」を何回食べたか数知れず。今も横川駅では売っているし、新幹線車内でも売っているが、あの独特の雰囲気には及ばない。

・相模線(寒川−西寒川)
 神奈川県のほぼ中央を走る相模線に変な支線があった。寒川から分岐して西寒川まで1駅だけの路線だ。記録によると昭和56年4月に乗ったらしい。当時は何のためにあるのかよく分からなかったが、相模川の砂利採取のための路線で、近くの工場の通勤用にも使われていた。本数は少なく、休日の中途半端な時間に乗る人など他に誰もいなかった。西寒川には何もないので、すぐに戻り、確か宮山まで行って寒川神社に詣でた記憶がある。

・福知山線(塚口−尼崎港)
 福知山線は現在は特急電車も頻繁に走る幹線路線だが、以前は電化もされていず大阪駅からすぐ近いとは思えないローカル線だった。そのローカル線にさらに不思議な支線があり、塚口から尼崎港まで1日2往復だけ走っていた。乗ったのは昭和56年の3月で、廃止の少し前だった。ディーゼル機関車が引っ張る茶色い旧型客車が走る路線で、これが大阪駅のすぐ近くの尼崎市内を走る路線だとは信じられないくらい長閑な路線であった。廃止直前ということもあってか、わざわざ乗りに行ったと思われる乗客で、乗車率は良かったように記憶している。尼崎港駅からは阪神尼崎駅が近く、このあと阪神電車に乗ったら、かなりのギャップがあった。

・片町線(京橋−片町)
 これも昭和56年の3月に乗った。片町線は現在学研都市線として、大阪近郊の通勤路線として発展しているが、当時はローカル線の趣もあった。さすがに大阪環状線に近いところは都会の電車だったが、その環状線京橋から1駅だけ片町まで伸びていたのである。駅間500mで、電車を待つより歩いた方が早いこともある。なんで片町という中途半端なところで止まっているのか不思議だったが、この1駅だけ乗ったのである。京橋でほとんどの客が降りてしまい、ガラガラのまま片町まで1分程度の旅。

福知山線と片町線は、今は京橋−尼崎間を地下線で結び、直通運転を行っている。

・高砂線
 これも昭和56年3月の乗車だ。友人と山陽高砂(当時は電鉄高砂)駅で待ち合わせていたが、時間があったので、わざわざ加古川から高砂線に乗って時間つぶしをしたのである。近郊のなんということもないローカル線という印象だったが、わざわざ加古川で乗り換えなくても神戸に直行できる山陽電鉄とは勝負にならなかったようだ。高砂駅に9:58に到着、10:00に山陽高砂で待ち合わせ。遅れるに決まっているが、遅れること前提の待ち合わせ(ひどいね)。でも、走ると5分くらいで着いて、意外と近かったのである。

・可部線(可部−三段峡)
 可部線は広島の隣りの横川から可部までは現在も走っていて、広島近郊路線として本数も多く活気ある線だが、可部から先は電化もされていず、本数も激減する山奥のローカル線だったのだ。乗ったのは平成8年6月。可部駅付近はまだ広島市郊外の住宅地である程度栄えているが、先の方は加計など一部の駅を除いてやはりさびしいものであった。ずっと太田川に沿って走り、川の風景もなかなか良かったように記憶している。だんだんと人が減っていって、三段峡まで行ったのは1人だけだった。


こうやって書いてみたら、今はない路線、やはり廃止になったのは惜しいなという気がする。
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