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2019年11月02日22:13

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猪木とビンス(575)最終章

もう一つ、日本プロレスが崩壊し興行活動が休止になった時、当時国内にいた日本プロレスの残党9人(大木金太郎、上田馬之助、高千穂明久、グレート小鹿、松岡厳鉄、ミツ・ヒライ、桜田一男、伊藤正男、羽田光男)の処遇が百田家(力道山家)預かりとなり、百田家が間に入って日本テレビ、全日本プロレスに仲介となった件です。

力道山が63年12月、暴漢に刺され死亡した時、力道山の残した「日本プロレスリング興業株式会社」は法定相続人である結婚したばかりで身重だった敬子未亡人が引き継ぐことになりましたが、当時の幹部であった豊登、芳の里、遠藤幸吉らは「このプロレスの興行は、若い奥様(当時21歳)である敬子さんには無理。力道山先生の忘れ形見である長男の義浩君(当時17歳)が成人した暁には、社長の座をお譲りするが、それまでは我々にどうか任せて頂きたい」と言葉巧みに敬子未亡人を排除にかかり、

新たに「日本プロ・レスリング興業株式会社」という類似商号の別法人を立ち上げ、豊登が代表取締役となり、取締役には芳の里、遠藤、吉村道明が就任、後に凱旋帰国した馬場も取締役に専任されています。

敬子未亡人の「日本プロレスリング興業株式会社」は唯一、莫大な収益をあげられるプロレス事業を取り上げられ、力道山が生前行っていた、不動産事業、観光開発事業等の残務整理を強いられ、担保物件、個人資産の処分を行い長い時間を掛けて精算してきました。

日本プロレスという団体は継続していましたが、運営法人は別。百田義浩を日本プロレスの社長にさせるという口約束は反故にされ、次男の光雄は70年11月に日本プロレスでデビューしましたが馬場が全日本プロレスを旗揚げした時には既に日本プロレスを辞めていました。

日本プロレス社長だった芳の里は選手の「再就職先」の進路を考えて(そこは真剣に行った模様)敬子未亡人に頭を下げたことは想像に難くないですが、敬子未亡人がそんなに簡単に仲介に尽力することは過去の経緯からして先ず考えられません。

また、日本プロレスの残党は日本テレビと個々に「3年契約」を結んでおり、そこには当然として契約金が発生したでしょう。選手を新日本プロレスに移籍させない為、日本テレビが先手を打ったものと考えます。

旗揚げ当初は日本人選手が手薄で、国際プロレスから選手を借り受けしなければ1興行6〜7試合組めなかった全日本プロレスも鶴田の帰国後の活躍が見えて来たのを初め、ザ・デストロイヤーの加入、ヒロ・マツダ、マティ鈴木の助っ人参戦等で、徐々に手駒が増えており、日本プロレスの残党は不要だったと思いますが、財産だけもらって選手を引き取らないような猪木的なやり方は出来なかったのでしょう。

マッチメークで冷遇すれば去る人間と残る人間がいる、全日本プロレスを去ったとしても日本テレビとの3年契約があるから少なくともその間は新日本プロレス、国際プロレスには上がれない。馬場はそのように考えたかと思います。

最後の根拠はインターナショナル・タッグ王座を日本プロレス側が手放していることです。

馬場は全日本プロレス旗揚げに際し、PWFのシングルタイトルは作りましたが、タッグのタイトルは作りませんでした。やはり、返上したとは言え、吉村、猪木、坂口とパートナーを変えて約6年間保持して来たインターナショナル・タッグ王座に執着があるのは確実。

インターナショナルのシングルは大木が意地でも固執し続けるのは馬場はわかっていましたが、タッグに関しては選手を引き取る見返りにベルトを要求したというのが3つ目の仮説。

力道山の流れを組む日本テレビが放送する保守本流の全日本プロレスとは言え、シングルもタッグも新設の「お手盛りベルト」では権威が薄れるというもの。

日本プロレスにあった王座(インターナショナル、同タッグ、アジア・ヘビー級、同タッグ、UN)のうち、インターナショナル・タッグ王座だけが、団体活動休止直前にフリッツ・フォン・エリック&キラー・カール・クラップ組に移っているのも不思議な話で、エリック&クラップは帰国後チーム解散、クラップはカール・フォン・スタイガー(サイクロン・ニグロ説もあり)と組んで王座を保持、と言ってもタイトルを所管している日本プロレスの許可なくスタイガーもしくはニグロを王者に出来るはずもなく、これにはいささか無理があります。

門茂男の著者によれば「エリックとクラップは日本プロレスの金庫にベルトを置いて帰った」とありますがそれが普通でしょう。インターナショナル・タッグ王座のベルトは日本プロレスから馬場の手に渡り、馬場はファンクスにベルトを預け、鶴田が帰国し、ファンからチャンピオンとして認められるまで持っていてもらい、「3度目の正直」で鶴田との師弟コンビでサンアントニオでようやくインターナショナル・タッグ王座のベルトを獲得する、というストーリーを描き、1年4か月かけて再びインターナショナル・タッグ王座のベルトを巻いたのでした。

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